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興亜観音 不戦の誓い 


熱海市 伊豆山にある「興亜観音」風光明媚な海岸線。
入口から急峻な坂道を行くと「興亜観音」の駐車場が。そこから、さらに急な坂道を登る。

興亜観音 FBページ https://www.facebook.com/kouakannon/

この響き 戦後70年目に愛知県西尾市三ヶ根山「殉国七士廟」(じゅんこくななしびょう)を訪れ、真実を知りたいと思った。生き証人に 率直な吐露を聞きたい。そう思っていたところ 機会がめぐった。「殉国七士廟」の記事はこちら

東京裁判で 英霊となった七士 それ以外にも処刑され命を絶たれた
(七士を含む)英霊1068の魂は 何所へ。

東條英機(首相・陸軍大将)土肥原賢二(陸軍大将)板垣征四郎(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)松井石根(陸軍大将)武藤章(陸軍中将)
文官の広田弘毅(首相)の七名 ※「殉国七士廟」には 遺骨の一部がおさめられている。

松井石根(まついいわね)は、支那事変(1937年 昭和12年)を案じ 興亜観音をたてることを発願した。中国からの土と日本の土をあわせ「怨親平等」にそって弔慰、供養するために建立された。南京事件は部下が起こした。が、松井は責任をとって処刑された。

観音像がみえてきた。艶やか。長さは3mほどあると思われる。合掌し微笑みをたやさない。平和を願うそのお姿に感動。国を衛るために尊い犠牲となった 英霊「七士」を含む1068柱 全戦没者(日本だけでない)「怨親平等」で弔慰 供養する。宗派を持たず 独立した 礼拝山「興亜観音」。住職をあずかる伊丹氏の人生は 波乱そのものであった。

終戦後の 東京裁判で 七士が処刑されたのは 現、平成天皇の誕生日の12月23日。GHQの屈辱的な施策があった。日本では、死人はすべてが仏さんになり供養されるとある。また「七士の遺族の気持ち」がある。GHQは、遺骨の保存を認めなかった。火葬場長が奇跡的に七士の遺骨を持ち出す事に成功し、当時の住職、伊丹忍礼師に相談があり 日本国の重要さを感得し快諾された。(GHQに秘匿とし)時期が来るまで10年の歳月を要する。時代が変わり、ようやく明らかにされた真実だが、素直に受け入れられなかった。圧力により興亜観音が爆破される事件があり、生命の危険にもさらされた。この観音様は、これまでもずっと見守ってくださったという。

曲解された歴史の捏造、自虐史観、無関心。現在の情勢、この国はどうなってしまうのだろう。

現在の住職、伊丹妙浄氏は「恒久平和」を希求する活動を精力的になさっている。
朝香宮殿下御手植の「菩提樹の実」を授かった。「菩提樹」は大きな意味を持つ・・・

慰霊碑 爆破事件で一部破損したもの 修復された。観音様の御加護があったとされる。

伊豆山から 初島 大島をのぞむ 風光明媚なところ。