Tag: 赤紙

終戦「取材」


FMはしもと81.6 放送分「マコルネのおきがるタイム」

サイマルラジオ(インターネットラジオ)対応。取材をしました。8/15終戦記念日を迎えます。

8月15日 正午 「玉音放送」でポツダム宣言を受諾した。「玉音放送」とは、天皇の声のこと。国会の召集等で使われるがここでは 降伏宣言(ポツダム宣言受託)。14日午後9時と15日午前7時に前もって予告され、午後1時には号外がでるとも告知された。「天皇自らの放送が15日正午にある」国民の一部はそれが戦争に負けたと察知していたと思う。「玉音放送」の約4分余り「裕仁天皇のおことば」は、国民を心配に思う内容であった。
実は、10日の午後8時過ぎ、ラジオ東京(現NHK海外放送)は、御前会議の決定を基に日本降伏のニュースを日本語と英語で3度に渡って世界に放送した。原爆が広島と長崎に落とされ本土決戦を覚悟していた頃、世界の人々はすでに日本の敗戦を知っていた。

私は、これまで「終戦記念日」をセレモニーのように見ていたところがあった。黙とうし、弔辞を読み献花しお言葉を述べられる儀式。
高校でも近代史(戦争)についてほとんどふれられない。例えば 一年生で現代社会を選択、二年生で世界史、三年生で地理、または倫理社会を選択すると 日本史を選択しないことになる。現代社会の教科書は近代史の内容がうすかった。中学でも、近代史はページがほとんどなかった。先生がプリントで特別に教えてくれたように思う。ただ中学、高校の社会科の先生は 今思えば 一部偏っていたのだろうか。受験勉強のための歴史だった。これまで、終戦を考える機会に遭遇しなかったのは不幸に鈍感だったというべきか。

沖縄のひめゆりの塔 海軍司令防空壕 摩文仁の丘 広島 原爆資料館 長崎 大浦天主堂など いろいろ訪れたが・・・6/23は沖縄地上戦の敗戦日だった。

img4031544ckq36lc_640

赤紙(臨時召集令状)。これが来ると拒否できないという。その頃の日本では村八分=禁止用語 仲間はずれがあり、招集に応じないと ひどい仕打ちがあったといわれている。また招集に対し、長持の中に逃げ隠れていたのを兵士が射殺したという記事もあり 事実か戒めか。とにかく酷い時代だった。一部の人は招集令状がこなかったが 別の意味で戦争への苦しみを味わったとみられている。戦局が困難になり、召集令状が17歳まで年齢が引き下げられた。特攻隊として片道の燃料で犬死にだった。

再び戦争をしない平和な国。隣国とも平和貢献のために率先して協力する国。それが日本のアイデンティティ。私は時々外国に行きます。外国語を少し話します。「日本ってどんなところですか」と聞かれたときに 答えられるように。それは いいことも悪いことも。

「2000年前から天皇が在位し、継承している国。宗教は信徒か仏教徒が大部分で武士道あるいは無宗教(No religion)。四季があり風光明媚である。春の桜 秋の紅葉 首都 東京 旧都 京都 経済の都 大阪 札幌 仙台 名古屋 広島 福岡などの都市で 人口は1億2000万人。山、川が多く 自然が豊富にある。戦争で被災しなかった遺跡などユネスコの世界遺産に登録されている。古来 国内では戦争があったが、400年前、豊臣秀吉、徳川家康が国家を統一した。 しかし、70年前の第2次世界大戦(大東亜戦争)、広島、長崎に原子爆弾が投下され敗戦となる。戦後、恒久の平和のレールをひく平和憲法が制定され歩んでいる。勤勉な国民性は高度経済成長を達成し、GNP(国民総生産)3位。一方、家族問題、雇用問題、国際問題など課題を残している。現在、4人に1人が65歳以上という超高齢化社会を進んでいる世界でも稀な国。」

アメリカもヨーロッパも国際問題は子どもでも知っていて、家族で話し合います。 今の日本にはそれがありません。そこが問題。 たしかに 自分自身のことで精いっぱいの世の中ですが、自国の歴史を知ることが必要なのでは。