旧嵯峨御所「大覚寺」
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旧嵯峨御所 大本山「 大覚寺」山号は嵯峨山 本尊は五大明王 歴代天皇や皇族が住職に就かれた格式の高い寺院である門跡で一番古い。
五大明王とは 中心に不動明王 東に降三世明王(ごうざんぜ )南に軍荼利明王(ぐんだり )西に大威徳明王(だいいとく )北に金剛夜叉明王(こんごうやしゃ )
弘仁2年(811)、空海が嵯峨天皇が命を受け、大沢池の畔に五覚院(後の「五大堂」)を建立し五大明王を祀ったのがはじまり。
五社明神(伊勢外宮=豊受皇大神、伊勢内宮=天照皇大神、八幡宮=応神天皇、春日宮=天津兎屋根命、住吉宮=神功皇后、他)
空海が嵯峨殿の鎮守社として勧請した。
嵯峨天皇(786年- 842年 在位 809年- 823年 譲位後、太上天皇)と空海(774年- 835年)
嵯峨天皇は、檀林皇后(だんりんこうごう)とご成婚の新居として離宮「嵯峨院」を建立。818年、大飢饉などが起き帝は心を傷められ離宮に移り質素倹約し、空海のすすめにより心経を金文字で一字三礼を尽くされ書写。そして空海が五大明王に祈祷すると平安が訪れたという。
・大覚寺エリア 宸殿、勅使門、村雨の廊下、勅封心経殿、御影堂、安井堂、五大堂など。
宸殿 後水尾天皇より下賜された、寝殿造り。入内された徳川2代将軍秀忠の娘東福門院和子が、女御御所の宸殿として用いられた。
御影堂 嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王をお祀りしている。
安井堂 後水尾天皇を祀る。格天井鏡板に花鳥などが描かれている。
・大沢池エリア 五社明神、閼伽堂、大日堂、聖天堂、心経宝塔、石仏群、護摩堂、天神社(御神木)、望雲亭、名古曽の滝跡など。菊ヶ島と天神島がある。
名古曽の滝跡 池北部に名古曽滝の瀧組が残っている。現在は、涸れ滝。藤原公任 歌詠み「滝の音は たえて久しく なりぬれど名こそ流れて なほ聞こえけれ」
嵯峨天皇は、三筆の一人。書写された般若心経は「勅封心経殿」に奉安され、薬師如来像が祀られている。60年に一度、勅使により開封される。
又、大沢池の菊ヶ島から手折った菊を生け「嵯峨御流」を創始した。
今のような衛星も電話も車もない時代。人並以上の感覚や知識を持った人たち。命がけで歴史をつくってきた人に耳を傾けることは自分も生きている共感に繋がる。為になる人は、歴史からあるいは人から学ぶものだと思う。
神の使いが。五社明神を参拝した直後「白鷺の番」が池で羽を休めていた。貴重な瞬間だった。
写経の根本道場の大覚寺。「嵯峨菊」の華の香が芳しい。奇しくも、11月の菊のきれいな時期だった。
嵯峨大覚寺の入り口「嵯峨御流華道芸術学院」が見える。
門跡の庭園。歴史の重みを感じる。
玄関。「嵯峨菊」は11月中 展示されている。
左近の桜、右近の橘。
宸殿
石舞台と勅使門
心経殿 嵯峨天皇の心経をはじめ、門跡が書写した心経が奉安されている。
大沢池は日本で初めての庭池。周囲1㎞。
五大明神
閼伽堂
大沢池から嵐山方面。
菊ヶ島 菊を栽培した華を生け、華道「嵯峨御流」の家元となった。
天神島にある「天神社」菅原道真を祀る。
心経宝塔
白鷺の番 五大明神を参拝後、現れた。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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