南三陸町 旧防災庁舎


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南三陸町は 歌津町と 志津川町が合併して平成17年に 南三陸町になった。この地図では 気仙沼からみて陸前戸倉の手前となる。リアス式海岸で 入り組んだ地形のため  古くから 有数の漁場としてさかえてきた。両岸から津波が押し寄せ 高い津波となった。

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「陸前小泉」は 橋梁の破損がむき出しになっており、4年経った今でもその姿に驚嘆する。標高の低いところはかさあげ、高いところは仮設がつくられた。

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「ベイサイドアリーナ」の次の駅が「志津川町駅」南三陸町 旧防災庁舎のあるところ。

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南三陸ポータルセンター  さんさん三陸商店街など 活気のある場所に。がんばっている。

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東日本大震災の記録を展示 著名人が訪れサインなども多数あり 被災された時の状況の資料など多数展示されている。 (展示室内 写真撮影禁止)

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更地で かさあげ工事が行われている。右側 海が見えているのは かさあげ工事がこれから。左側が 堤防をつくっている 海が見えなくなってしまう。

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旧防災庁舎のこと。3Fのアンテナにつかまり 10人がたすかったが 43名が犠牲となった。当時 6mと言っていた高さは 直前に10mに変更された。数十回呼びかけた6mと 数回のみ10m以上で呼びかけた記録が残っている。

最期まで防災無線で避難を呼びかけ続け犠牲になったEさんの行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、埼玉県の公立学校で2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。

その近くにある 志津川病院も4Fまで津波で浸水し 70名近くの犠牲者が出た。こちらは解体されている。町のコミュニティをどうすれば 以前のように戻れるのか。住民の意志に、出来る限り対応してあげてほしい。

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「震災遺構として 保存か解体か」 住民の意見が半々になっていることから県への回答がまだの状態。県は保存するなら協力すると言っている。すぐに決めることはないという意見もある。あの原爆ドームは20年かけて話し合いされ 残すことが決まったのである。

旧防災庁舎 後ろに見える 盛土のかさあげは 確か12mと聞いた。何かの時は とにかく 高いところ(10m以上 という表記は間違っている 安心してはいけない) 高いところに避難する。

被災地訪問者が手を合わせる場所ということもあり 簡単にはいかない問題。被災された方は これを見るのがおつらいと思います。 この教訓を 100年、1000年先に どう活かしていくのか。活気を取り戻し 産業を復興させ一日でも早く 復興できることを願う・・・

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ