「豊国廟」の真実


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豊臣秀吉は 織田信長の後を受けて 天下統一をなしとげた英雄である。没後、徳川家康は、天下統一を全国に知らしめた。結果 征夷大将軍となり 260年におよぶ 江戸幕府を開くのだが。歴史観というのは大きい。知ることは 大事だと思う。真実を知ることができれば。

豊国廟 秀吉は 阿弥陀ヶ峰に 墓をつくるよう 遺言した。そして、自分を「豊国大明神」とするよう願った。
人間神の登場である。今までは 菅原道真など 霊としての神が存在した。秀吉は 63歳で病死する。

この後 豊臣家と徳川家との争いになり、豊臣家が滅ぼされる。この時 豊臣家関連の神社等を 隠されてしまう。

豊国廟は 565段の石段 標高193m 手すりもなければ 燈もない。阿弥陀ヶ峰 豊臣秀吉(豊国大明神)の御廟。豊臣家を滅ぼし 家康は この廟を無きものにした。この廟と 西方浄土の(西)本願寺との導線上に 秀吉を嫌う根来派の智積院 また東本願寺を建て 遮ろうとした。明治に入り 豊国会がこの廟を再建。その時 中腹の中門付近の地中で秀吉公のご遺体が発見され 現在は、山上の阿弥陀ヶ峰の御廟におられる。

なお 徳川家康も 徳川権現を名乗り 日光東照宮に祀らせた。

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ