三渓園 観月会 -古建築のライトアップと音楽の演奏- 


FavoriteLoadingお気に入りに追加

三渓園 観月会 久方ぶりに訪問した。以前は 昼間だったが 今回は夜。

観月会 舞楽 雅楽が奏された。期間限定で催されている。会場は、臨春閣。風格ある建造物。池 庭も設営され、目の前に山が聳える。横浜雅楽会が出演。管絃「合歓塩(がっかえん)」「抜頭(ばとう)」  舞楽「敷手(しきて)」「納曽利(なそり)」「胡飲酒(こんじゅ)」ほかの楽曲を聴く。

臨春閣の事、1649年(慶安2年)建築。旧紀州徳川家藩別邸。紀州徳川家の初代徳川頼宣が紀州和歌山(和歌山県岩出市)に建てたもので、狩野派の襖絵などが見所。1915年に移築。岩出御殿。数寄屋風書院の建物である。第一屋に玄関がある。第一屋と第二屋が平屋、第三屋のみが二階建て。屋根は檜皮葺き、庇は杮葺き。

三溪園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、和歌山3棟、神奈川2棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟有る。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、移築した古建築。原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で成功した。原は 仏画、茶道具などの古美術の萬集家でもあり、平安時代 代表作の「孔雀明王像」(国宝、東京国立博物館蔵)など、益田孝(鈍翁)と肩を並べるほどの存在。彼は、室町時代の旧燈明寺三重塔などを移築、庭園も含めて整備した。1906年(明治39年)5月1日に市民に公開し、その後も建造物の移築は続く。関東大震災と太平洋戦争中の横浜大空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立、再び庭園の整備を行い、今日に至る。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次大戦後に三溪園に移築したもの。1989年(平成元年)9月には内苑の御門そばに、三溪記念館が開館した。

臨春閣 と ライトアップ 幻想的 孔雀明王と 三渓園がリンクした。

プロフィール

Avatar photo
nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ