「軽井沢ユニオンチャーチ」ヴォーリズ
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軽井沢ユニオンチャーチ ヴォーリズ
賑やかな旧軽井沢銀座を行くとチャーチストリートを過ぎ、軽井沢観光会館が見える。右手に入っていくと「テニスコート通り」があり、ここに「軽井沢会テニスコート」がある。
皇太子時代の天皇陛下(今上天皇 明仁)が、美智子皇后と出逢い、テニスで愛を育んだ場所。現在もクレーコートがある。
そして、テニスコートの裏に位置するクラブハウスが「軽井沢ユニオンチャーチ」教会。
宿場町として栄えていた軽井沢だったが、明治に入りアレキサンダー・クロフト・ショー(1846~1902)が訪れ、避暑地として別荘を建てたのがはじまり。布教など文化活動をすすめたのがダニエル・ノルマン(1864~1940)。このユニオン教会はノルマンがカナダ・メソジスト教会からの資金援助を得て、キリスト教各派合同の礼拝所としてウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)に依頼し、彼により大正7年(1918年)に建てられた。元は鉄道技師のクラブハウスだった。祭壇がドーム型になっている。たくさんの窓からあふれるような光が 温かみのある佇まいである。
ヴォーリズは、アメリカ合衆国出身、後に日本に帰化した。1905年(明治38年)滋賀県の八幡商業学校の英語教師として来日し、毎夏を軽井沢で過ごした。伝道者であり、実業家。近江兄弟社(メンソレータム)の創業者の一人。建築家でもあり多くの西洋建築を多数手がけた。ヴォーリズ建築事務所を設立。建築後80年以上経った登録有形文化財の「ヴォーリズ建築」が多く存在する。また、彼は讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介した。
歴史が偲ばれる。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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