山口大神宮「西のお伊勢さん」


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山口大神宮 「西のお伊勢さん」「日参一万日成就」の石碑

永正17年(1520)に大内義興が朝廷に奏聞して勅許を得、伊勢皇太神宮のご分霊を勧請した。江戸時代まで、日本中で当社だけであった。伊勢神宮と同じ 外宮 内宮

内宮  天照大御神 配祀 天手力男命 萬幡豊秋津姫命

内宮別宮 荒祭宮   天照大御神荒魂 瀬織津姫命 内宮摂社 恵美須社  事代主命

外宮 豊受大御神 天津彦彦火瓊々芸命 天児屋根命 天太玉命 建御名方神 八坂刀自命

内宮別宮 多賀宮  豊受大御神荒魂 伊吹戸主神

摂社 多賀神社 伊弉諾尊 伊弉冉尊 天照大御神 素戔嗚命 少名彦名神 火具土神 国常立命 応神天皇 菅原道真命 大内教弘命

末社 高嶺稲荷神社 岩戸社  天照大御神 天手力男命 広大な境内に 馬舎と稲荷神社がある。

伊勢神宮は、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭隆盛できなかった。そんな時、各地の有力者による神領の寄進が行われ、伊勢神宮の祭神が分霊し「神明神社」が増えていった。一般民衆に伊勢信仰が盛んになった。祭事はほぼ伊勢神宮と同じで建築は神明造。「神明」は天照大御神のこと。

大内氏は山口に本拠を置いていたが町は平安だった。都では応仁の乱の兵火で疲弊した。都から山口に移り住む公卿が増え、「西の京都」といわれた。大内義興は京都で1519年まで管領代として将軍に代わり政治をつとめる。京都に滞在中、永正11年(1514)に伊勢の皇太神宮に参拝し感銘を受けた。永正15年8月に、太神宮を勧請する準備をはじめる。永正16年11月に外宮、17年4月に内宮を落成。義興は、天皇に太神宮勧請を奏聞し、勅許を得て17年6月29日に神霊を遷宮した。

当初は「高嶺神明」としていたが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜り「今伊勢」と称せられるようになった。
昭和3年、社格が県社となり「高嶺神社」となったが、昭和22年「山口大神宮」と改称した。

 

 



 







 













プロフィール

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☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ