シューベルト「未完成」


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シューベルトは 1797-1828 ウィーンで生まれた作曲家。900曲に及ぶ楽曲を残し 歌曲の王と呼ばれる。31歳で世を去った。シューベルトを描写する映画「未完成」交響楽がある。
家庭は12番目の子で 裕福とは言えなかったが 幼少の時に 聖歌隊に入り 音楽の刺激を受けた。
13歳で弦楽四重奏曲を書いた。18歳のとき 146の歌曲および、たくさんの曲を書いた。シューベルトの丸メガネは 彼が目覚めるとすぐ楽譜に書きとめられるように いつもメガネをかけていたという。

交響曲第8番ロ短調「未完成」は ベートーヴェンの第5番「運命」とカップリングでCD化され
よく聴かれている。未完成 第1楽章は8分の3 ロ短調の主題、これは最後でも登場する。美しいメロディーと情熱的な楽想で ロマン派の最大傑作と呼ばれる。長調の朗々と謳われるメロディーは牧歌的。短調は悲哀に満ちていて 速さや強さが増し シューベルトの語法が表れている。

それは 晩年の ピアノソナタ イ長調 D959の2楽章でも表れている。
ピアノソナタは3曲綴られた。19番 D958 20番 D959 21番 D960 で後ろ2曲は傑作。
20番は 陽気であるが 少し気取ったような雰囲気。4楽章は 親しみやすいメロディー。
21番は 春の光の雰囲気 1楽章が 明るくやさしい雰囲気。

20番 第1楽章は明るく 気取ったような 不協和音の3連音符が特徴。
第2楽章のこと。嬰ヘ短調の楽想で8分の3 舟歌のように揺れている。
途中で 枯葉が散るように とぼとぼと音が上がっていく。そして どこまでも美しく 歌を奏でるが 暗い闇に入ってしまう。このあと、オクターブと悲しみの旋律が最強音となり デーモニッシュになった。怒り 激しさ 一体 シューベルトに何が起きたのだろう。嵐だ。いろいろなピアノソナタをみているが こんな書き方をしているのは ここだけ、前にも後にもない。

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シューベルトは作曲家として生活することができなかった。作曲が本当に好きであったが
そう簡単に売れなかった。学校の教師をしながら時を待った。
31歳9カ月でこの世を去ったのは本当に惜しい。長生きをしていたら作品をたくさん残しているはずだし
名声も高くなって生活が安定したのかもしれない。ベートーヴェンが亡くなってから 「ポストベートーヴェン」が現れなかったのである。それくらい ベートーベンは「交響曲の巨人」であった。

シューベルトの作品が注目されたのは シューマンとメンデルスゾーンのおかげである。
1838年シューマンがウィーンに立ち寄った際に、シューベルトの兄フェルディナントの家を訪問した。フェルディナントはシューベルトの書斎を保存していて、シューマンはその机上で『(大)ハ長調の交響曲』を発見し、ライプツィヒに持って帰り、メンデルスゾーンの指揮によって演奏され、シューベルトの価値は見出されるようになった。この他に、1867年にウィーンを旅行したジョージ・グローヴ(1820-1900)とアーサー・サリヴァン(1842-1900)の2人は7曲の交響曲、ロザムンデの音楽、数曲のミサ曲とオペラ、室内楽曲数曲、歌曲を発見し出版され 私たちがシューベルトの音楽を聴くことができるようになったのである。

シューベルトは 楽聖「ベートーヴェン」の隣 ウィーン中央墓地に眠っている。
「Zentralfriedhof」(ドイツ語)サイト

http://www.friedhoefewien.at/eportal/

mikansei

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プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ