四柱神社「天之御中主神」
お気に入りに追加
四柱神社(よはしらじんじゃ)「天之御中主神」アメノミナカヌシノカミ
「古事記(712年)」日本神話で一番最初の【天地開闢】に登場する「天之御中主神」「高皇産霊神」「神皇産霊神」【造化三神】と天照大神を祀る社。すぐに身をお隠しになられた。至高の神様とされるが、それ以上の記述がない。ヤハウェのような概念的な神であるのだろうか。ちょっと違うのは、宇宙も地球も最初からあったとされる事。
中国では「妙見信仰」として北極星が「天帝」とされ北を司る絶対的な信仰を集めた。天帝というと、七夕信仰もその一つ。地上では天帝から命を受けた王が正しい政をするために、星を観測し占いをする陰陽師が重要な役割を担った。日本へは陰陽五行道が飛鳥時代に伝わったとされ、平安時代後期、日本独自の陰陽五行説と発展する。伊香保温泉に「北辰鎮宅霊符尊」の碑文があり裏には「高野山大師教会」が刻まれていた。これは火災除けとして昭和時代に建てられたものらしい。「日本書紀(720年)」や平安時代の「延喜式神名帳(927年)」に祭神にも登場せず。能勢妙見山では、平安時代(986年)に「鎮宅霊符神像」を遷座したとある。道教、密教、陰陽道の神「妙見菩薩」として信仰された。鎌倉時代、伊勢神道ではご祭神の豊受大神(伊勢神宮外宮)を天之御中主神と同一視し、外宮の優位が主張された。江戸時代、国学者の平田篤胤は「古道大元顕幽分属図」を著し万物の創造神として「天乃御中主神」の存在を知らせた。明治時代、神仏分離令がだされ妙見菩薩が名乗れなくなり「天之御中主神」に改められた。
明治時代(1872年)、国民に対して尊皇愛国思想の教化(大教宣布)するための機関が大教院として開かれる。祭神とされ、松本に神道中教院が設立された際に、四柱が奉斎された。大正13年、現在地に再建された。
天照大神や須佐之男命、伊邪那岐命、伊邪那美命、大国主命は、祭神として祀られている事が多い。
造化三神や宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)天之常立神(あめのとこたちのかみ)の二柱を含む 別天津神五柱は、日本神話の最初に登場する重要な神様。
天之御中主神は「神様の神様」高皇産霊神は「物事を結ぶ神様」神皇産霊神は「人を結ぶ神様」天照大神は「縁を結ぶ神様」
平日だが、人手が絶えずある。縄手通りや女鳥羽川の畔で、松本市の中心にある街区で隣に田立屋がある。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
最近の記事
- メディア24/11/21多武峰の紅葉 1300年の景色かな
- メディア24/11/17浅間山溶岩樹型「天明の大噴火」
- メディア24/11/1424.11.30発行「JAA機関誌61号」
- メディア24/11/142024.11.28(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.280