受難節とバッハ


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日本ではで冬と春を分ける分岐点を「節分」としその翌日を「立春」としている。節分では邪気除け、追儺が年中行事として行われ豆撒きをする。数え年で、一つ多くの数の豆を食べる。新暦では12月31日を大晦日で大祓をし、年越しそばを食すのだが、節分にそばを食すところがある。無病息災を願う。

キリスト教圏では、イースター(復活祭)が春の祝い。イースターの前の日曜日を除く40日間を「四旬節」で、大斎と小斎があり、断食を行うところがある。その四旬節の「灰の水曜日」が2024年は2月14日(水)で、3月31日(日)の復活祭まで慎みながら悔い改める期間。プロテスタント(ドイツ・ルター派)では「受難節」と呼ぶ。聖書の背景を探るに、皆既日食と月食の後のニサン月14日の金曜日にキリストが処刑されたという新約聖書の記述があり,キリスト処刑の日は西暦30年4月7日の可能性が高いという。イエスが宣教を始めたのがティベリウスの治世の15年であること、さらにパウロの回心が33年~35年とされているから。

イエス・キリストの受難と死は人間の罪を贖うためであると考えられてきた。四旬節では伝統的に食事を節制し宴会や娯楽への自粛がされる。祈り、断食、慈善の3点を通じた悔い改め。古代では初春に収穫が少ないため、食事を質素にして乗り切らなければならなかった。パンなどの発酵し保存できる食も厳しい冬を越える知恵から生まれたものである。喜びを抑える期間という意味から、カトリック教会のミサでは、四旬節中は「栄光唱」(グローリア)、「アレルヤ唱」が歌われない。ただし祝日や祭日の場合には栄光唱は歌われる。福音朗読の前のアレルヤ唱は詠唱に変えられる。かつてはアレルヤ唱は四旬節を準備する七旬節(四旬節の3週間前)から歌われなかったが、第二バチカン公会議の典礼改革により四旬節にのみ歌わないことに改められた。四旬節中に厳格な断食をなす習慣は、古代末期から中世にかけて確立した。肉はもちろん卵、乳製品の摂取が禁じられ、一日一度しか十分な食事を摂ることができない。中世に入るとそのような意義が忘れられ、しぶしぶ行う義務的な節制という意識が強まってきた。逆に四旬節に入る前に祝宴を行う「カーニバル(謝肉祭)」が行われ現代に至っている。近代以降の西方教会では節制を「義務」でなく「自ら選び取る」もので強調された。食事の節制は、肉などの主要な食べ物でなく自分が好きな食べ物を節制する、あるいは自分が好きな娯楽を自粛する、節制の代わりに慈善活動に参加することが行われるようになった。現代のカトリック教会での四旬節中の節制は、対象は18歳から60歳までの健康な信徒(教会法1251条)。教会法1253条は大斎の実施については各国の司教団の決定に従うようにとされ、大斎の日には一日一度十分な食事をとり、あとの2回は僅かに抑える。大斎の日には肉を摂らないという小斎も同時に行われる。現行のカトリック教会法では毎週金曜日と灰の水曜日や聖金曜日に小斎を行うというのが基本的な考え。今日では、物質文明の変化により、西方教会において厳格な実施は求められていない。

ドイツ・ルター派(プロテスタント)は、受難節にはバッハの「マタイ受難曲」を上演することがある。その唱和するコラールは「血しおしたたる」である。
マタイ受難曲が演奏終了すると拍手する人がいるが、私はそれはできない。

2月14日 灰の水曜日(受難節)

3月29日 受難日 聖金曜日

3月31日 復活祭 本当の春が待ち遠しい。

「祈り」を聴く。バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調BWV1001 Ⅰ アダージョ

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ