「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」


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被爆80年企画展 ヒロシマ1945 東京都写真美術館

ウクライナ・ロシア戦争は、ドローン・ミサイルで無人遠隔攻撃が主流。時代は変わった。
「トランクの中の日本」(1995.6.10発行 オルドリッチ 聞き取り  オダネル 写真)はジョー・オダネル氏が戦後2か月目の広島・長崎を撮影。封印していたトランクを45年ぶりにあけて公開したのが1993年。衝撃の画像だった。もちろん「焼き場に建つ少年」は忘れてはならない。「神様のファインダー」(2017.8.9発行 坂井貴美子氏=オダネルの妻 1997-2007 オダネルと死別 )坂井氏がオダネルから聞き取った真実。
戦後80年は被爆80年。そのいたみは簡単になくならない。たった一発の爆弾が数万人の命を奪い、原爆症で苦しんでいる人が80年経った今でも、毎年亡くなっているのだ。原爆死没者名簿に記載されている数は、広島で2024年8月6日現在、34万4,306名。長崎で2024年8月9日現在、19万8890名。アメリカは毎年、広島原爆資料館や長崎平和祈念館を訪れるべき。

今回の写真展は、ジョー・オダネル氏の戦争記録の画像とは違う。日本の記者・市民がカメラを回していたのだ。爆発後の2分後に撮影されたキノコ雲。困難を極めた救護活動の様子。報道機関はGHQに目をつけられ写真を没収に屈せず保存されたもの。オダネル氏が10月に訪れる以前の写真は極めて貴重。広島市民、報道機関のカメラマンや写真家による広島原爆写真約160点と映像2点を公開。資料の所蔵や保存・活用に携わってきた報道機関が連携し、原爆写真と映像の展覧会を主催するのは初めて。しかし、なぜ80年間もお蔵入りしていたのだろうか。それは、原爆で苦しむ人を躊躇しながらカメラを回した事。その心情に心打たれる。

年配の人より若年層が来られている印象。驚きは20代の女性が見入っていた。やはり写真のインパクトが大きい。広島県は人口270万人。長崎県は130万人。東京都は1400万人。東京での展覧会は大いに意味がある。


 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ