米同時多発テロから24年 2025.9.11


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米同時多発テロから24年 2001.9.11.8:46 EDT (ST +1)ニューヨーク 時差13時間 黙とう

今の「テロ対策」が叫ばれたのは、重大な事件があったから。日本では、1991年3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件があった。他に、秋葉原通り魔事件は、猟奇的な事件。そして、2016年、相模原障碍者施設の殺傷事件。人権を守るために、犯罪予備軍を抹消しなければならない。市民を犠牲にしたテロ事件は、2015年11月13日、パリ同時多発テロの衝撃的なやり口は震撼させた。組織的な犯行を未然に防ぐ、治安の維持はますます大切になっている。

アメリカとアルカイーダの闘いは、衝撃の週間を与えた。まさか、ハイジャックした飛行機を複数用意し、象徴ともいえるビルに突っ込み崩壊させる。夜のニュース番組で2つめの飛行機がビルに激突するライブ映像を見て、震え上がった。これは、現実に起きた。映画ではない。

アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機はニューヨーク州ニューヨークのワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に向かい、午前8時46分(日本時間11日午後9時46分)にアメリカン航空11便がノースタワー(北棟)に、午前9時3分(日本時間午後10時3分)にユナイテッド航空175便がサウスタワー(南棟)に激突した。南棟はハイジャック機の突入から56分後、北棟は1時間42分後に倒壊し、それに伴う衝撃と火災は7 ワールドトレードセンタータワー(47階建て)を含むワールドトレードセンター内の全ての建物への一部または全体への破壊を引き起こしただけでなく、周囲10ヵ所の大型構造物に甚大な損傷を与えた。また、ペンタゴンへのテロ攻撃も同時に起きた。3機目のアメリカン航空77便は、午前9時37分(日本時間午後11時37分)にバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側を部分的に倒壊させた。

捜査の結果、アルカーイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに疑いを向けたアメリカは、テロから約1ヵ月後の2001年10月、有志連合諸国と共に軍事作戦を開始。アフガニスタンを攻撃しアルカイダの駆逐と、ビン・ラーディンの身柄引き渡しに応じなかったタリバン政権を同年11月に事実上崩壊させた。ビン・ラーディンは当初、事件への自身の関与を否定していたが、2004年にテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた。アルカイダとビン・ラーディンは、アメリカのイスラエル支援、サウジアラビアへのアメリカ軍の駐留、幼児50万人が犠牲になったといわれるイラクに対する制裁などをテロの理由だと主張する。ビン・ラーディンはテロから10年近く捕捉を逃れ、パキスタン国境付近に潜伏していたが、テロから約10年後の2011年5月、アメリカ軍により殺害された。

グラウンドゼロに9.11メモリアル博物館ができた。忘れてはならない。https://www.911memorial.org/

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ