生誕500年「千利休」2022.4.2


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生誕500年「千利休」

2022年は、茶人「千利休」生誕500年の年だそうだ。わび茶の達人。秀吉に切腹を命じられ、突然の人生の終いを迎えた。それが、4月21日。享年70。死後、さらし首にされたという。墓所が、 聚光院 じゅこういん(大徳寺の塔頭)にある。茶道も打ち壊された。秀吉は、足軽から天下人になったが「殺生関白」の暴君。秀次一家の惨殺、朝鮮出兵による耳塚など悪行を行った「悪虐非道な鬼」で好きでない。

20代の頃、合唱団の団友で和装や扇子を召しているお茶の先生がいて、センスがいいなと思った。私は(お点前の腕はないが)趣味で気が向いた時、お茶をたてる。
抹茶が好きで、日本人なら茶の味が分かる人になりたいなと思って。茶道は、作法 所作が大事。学ぶところが多くある。また、節約にして最大の効果を出す考えは、様々なところに通じる。「茶の湯」を通して大切な3つの心得は、①相手への心配りを忘れない事。温かい気持ちを持つ ②ものを大事にし、本質を見極める ③一期一会を重んじる

千利休(せんのりきゅう、大永2年(1522年) – 天正19年2月28日(1591年4月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人。侘び茶を確立し「茶聖」(ちゃせい)と称される茶人 今井宗久、津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と称せられる。豊臣秀吉の側近で大阪城に黄金の茶室を設計。堺の南宗寺に参禅し、その本山「大徳寺」と関わった。京都府大山崎町にある「待庵(たいあん)」【国宝》は千利休作の現存する日本最古の茶室である。「南方録」をわび茶の心像とし、藤原家隆の詠み「花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや 」を心髄としているとされる。

千利休の子孫らが継いだ「茶道」。「裏千家」「表千家」「武者小路千家」は、三千家と呼ばれる流派。作法、道具、思想などが違う。

例)お茶を点てる:裏千家は泡立ててまろやかな味わいになる。表千家は泡立てないため深い抹茶の味わいになる。

①裏千家
時代に合わせた風潮を積極的に取り入れる。裏通りに面している茶室であることから。茶道を「ちゃどう」と呼ぶ。

②表千家
古くからの作法を忠実に守っている。表通りに面していた茶室であることから。茶道を「さどう」と呼ぶ。

③武者小路千家
無駄のない、合理的な所作。武者小路という通りにある茶室であることから。必要のない所作を省き、合理的な動きを重視する。

 

「四規」とは和敬清寂のこころ。

①和やかな心であること ②お互いに敬い合うこと ③清らかであること ④動じない心を持つこと

「七則」とは客人をもてなす心構え。

①心を込めてお茶を点てる ②本質を見極める ③季節感を大切にする ④命を尊ぶ ⑤心にゆとりを持つ ⑥柔らかい心を持つ ⑦互いに尊重し合う

 

茶道資料館【裏千家】に用があり立ち寄った。

この日、朝は7.6℃だったが、昼間、急に日差しが強くなって温かくなった。写真は、ところどころに「虹の線」が映り込んでいる・・・
茶会があり、和装を召された女性が多くいて、華美だった。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ