「鷲窟山観音院」弘法大師「爪彫の十万八千摩崖仏」秩父第三十一番札所


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「鷲窟山(しゅうくつさん)観音院」弘法大師「爪彫の十万八千摩崖仏」秩父第三十一番札所【秩父三十四観音霊場】

秩父札所第三十一番「鷲窟山観音院」二百九十六の石段、落差60mの「聖浄の滝」、空海爪彫りの「十万八千摩崖仏」
秩父観音霊場札所三十番から徒歩で6時間、最も遠く険しいところ。標高700mにある。秩父札所三十四ヶ所観音霊場は文暦元年(1234)甲午三月十八日開創と伝えられ、室町時代後期には秩父札所が定着し、江戸時代には庶民の観音信仰巡礼の聖地として賑った。一番「四萬部寺」から三十四番「水潜寺」まで約100kmにわたる。西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに「日本百観音」と呼ばれている。

珍しい石の「仁王像」が入り口に。高さ4mと日本一を誇る。標高差50mを15分ほどかけて登る参道には句碑がところどころあり景色が変わっていく。登り切ったところに巨大な岩盤と滝と観音堂が眼前にあらわれる。約1700万年前、秩父盆地が陥没し海が入り始めた時代、海底に積もった砂礫。江戸時代には岩殿沢石として江戸にも運ばれていた。

創建と略歴 本尊「聖観世音像」は飛鳥時代から奈良時代にかけての高僧、行基【天智天皇7年(668年) – 天平21年(749年)】の作。しばらく衰退し、本尊が不明になっていた。平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、畠山重忠(1164-1205)がこの地に狩りに来たとき、遠くの梢の鷲の巣に矢を射った。矢がはねかえったことを不思議に思い巣に近づくと巣の中から本尊の観音像があらわれた。重忠は奇縁から観音堂を建て祀った。現在の堂は昭和47年に再建されたもの。

十万八千摩崖仏 弘法大師が断崖に爪彫りで千体仏を彫ったとされる磨崖仏。体長18cm。風化により面が滑らかになっているが、千年以上経ったものだと感得する。

「聖浄の滝」落差60mの滝。古来、修験者が水垢離の行をし、篤い信仰を集めてきた。不動明王が祀られている。雨が少ない時は、量が少ないが、大雨の後は、流量が多く轟音となる。滝つぼがエメラルドグリーンで清い。

秩父第三十一番札所「鷲窟山(しゅうくつさん)観音院」【秩父三十四観音霊場】小鹿野町へは、秩父市街から西方へ15㎞。

埼玉県秩父郡(ちちぶぐん)小鹿野町(おがのまち)飯田観音(いいだかんのん)2211

 



「観法」法印即身仏墓 明治17年(1884年)86歳で往生。即身成仏を成した。ここにある石仏は、両神山との関連がある。














 

プロフィール

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☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ