浅間山溶岩樹型「天明の大噴火」
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浅間山溶岩樹型《国の特別天然記念物》「天明の大噴火」
浅間山は有史以来、時々噴火している。日本で初の火山観測所「浅間火山観測所」が建設された。その地形から3つほどの山で形成されている。釜山(かまやま)2568m、前掛山2524m、黒斑山2404m。現在、中央火口丘の釜山(長径500m)は噴煙をあげている。前掛山は、警戒レベル1の時は登頂できたが、現在、警戒レベル2なので「賽の河原」から「前掛山」までは、入山規制。それで外輪山の古生代の「黒斑山」が山頂扱いとなっている。
江戸時代の天明3年(1783年)7月6日(8月3日)「天明の大噴火」で大爆発した。実は、気候不順が続いていて、同じ年の3月12日(4月13日)には青森県の岩木山が噴火した。1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて天明の大飢饉が起こっている。地震の専門家が大地震に警鐘を鳴らしているのは、現代の気候不順が、天明の大噴火の前の状況に似ているらしい。冬も異常な温かさであったという。今年の富士山の初冠雪は11月7日と大幅に遅れている。そして、岩手県の岩手山は、2024年10月2日に、噴火警戒レベルが2に上がった。1998年以来の入山禁止。
天明3年(1783年)8月4日(旧暦7月7日)、夕刻から夜にかけて浅間山麓の森を高温の火砕流(吾妻火砕流)が襲った。東南側の群馬高崎市だけでなく、埼玉県本庄市や深谷市まで影響が及んだ。土石流を巻き込み、上流の吾妻川から合流した利根川に流れ、天明6年(1786年)天明の大洪水を引き起こした。利根川から分岐する江戸川下流の、牛込、小石川、本所あたりが浸水した。火砕流はやがて冷えて固まり木々は腐り円筒状の窪みが残った。溶岩樹型は世界的にも珍しい。浅間山溶岩樹型は富士山の鳴沢溶岩樹型と共に研究対象であり、防災につながる。昭和15年に国の特別天然記念物に指定。昭和50年(1975年)の調査で、約500個が確認された。大きさは直径50~200cm、深さ3~7m。
浅間山の麓、「鬼押出し園」を含む一帯に鎌原(かんばら)という地名がある。火砕流が鎌原村になだれ込み、村のほぼ全域が壊滅。死者は477名で、小さな丘にある「鎌原観音堂」の50段の石段で生死を分け93名が生き残った。「観音堂」は、噴火によるすさまじい土石流で埋没し15段となってしまった。土石流の厚さは3mから6mあったと思われる。このストーリーは「ブラタモリ」で放映された。林田理沙さんの表情が印象的だった。ブラタモリは、だいたい明るい話題が多いのだが、歴史には悲劇もある。浅間山の噴火を忘れない鎌原観音堂を守る村人の心を汲み取り、この放送となったのだろう。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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