阿久悠記念館~明治大学~


阿久悠記念館~明治大学~
1937年〈昭和12年〉2月7日 – 2007年〈平成19年〉8月1日[3])は、兵庫県淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。1959年(昭和34年)に広告代理店・宣弘社(現在の電通アドギア)へ入社。コピーライター・CM制作を手がけながら、1964年(昭和39年)から放送作家として活動。1966年(昭和41年)に宣弘社を退職し、放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。デビュー作はザ・スパイダースのグループ・サウンズデビュー曲「フリフリ」のB面「モンキーダンス」(1965年)。本格デビューはザ・モップスの「朝まで待てない」(1967年)オリコンチャートイン。生涯、作詞した作品は5,000曲とも。ジャンルは歌謡曲、演歌、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソング。日本テレビ 『スター誕生!』で番組企画・審査員として関わる。
主な作品
1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
1974年「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお
1976年「北の宿から」都はるみ
1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
「思秋期」岩崎宏美
「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
1978年「UFO」ピンク・レディー
1980年「雨の慕情」八代亜紀
1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
6834.0万枚(2015年) – 作詞家歴代2位
他に小説『瀬戸内少年野球団』など
2010年、明治大学アカデミーコモン地階に阿久悠記念館が開設。ちなみに古賀政男も明治大学出身でつながりがあった。明治大学の神田駿河台キャンパスのアカデミーコモン地下1Fには開校140周年を迎えた「大学史展示室」があり、歴史を偲ばれる。
そのフロアに記念館がある。興味深いのは、この職業は、自宅にいながらなので、家族のめんどうをよくみたとされる。そして、サインペンと野球観戦記や26年にわたる日記。常に文字にする事をいとわなかった。
作詞は、秋元康、松本隆、松井五郎をはじめ シンガーソングライターにも優れた作詞家がいる。1970年~80年代の歌謡曲全盛期の歴史に名を遺す。
私の中では、作品として「津軽海峡・冬景色」や「雨の慕情」、そして「もしもピアノが弾けたなら」など親しんでいる。
雨の慕情 八代亜紀
詞の一文 女が男を追慕して雨を眺めている 雨雨降れ降れのフレーズ を3分間のドラマに仕立てている素晴らしい作品。何気ない歌詞のなかにも阿久悠の世界で文学である。
心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
にくい 恋しい にくい 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
雨雨降れ降れもっと降れ 私のいい人連れてこい
プロフィール

- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
最近の記事
メディア25/10/08「蔵王温泉」大露天風呂
メディア25/10/08智恵子記念館~二本松~
メディア25/10/052025.10.9(木)13:00「おきがるタイム」FM816 vol.301
メディア25/10/05阿久悠記念館~明治大学~