智恵子記念館~二本松~


智恵子記念館~二本松~
二本松市智恵子記念館という。高村 智恵子(たかむら ちえこ、1886年(明治19年)5月20日 – 1938年(昭和13年)10月5日、旧姓:長沼)は、日本の洋画家、紙絵作家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。彼女の死後に光太郎が出版した詩集『智恵子抄』でも知られる。智恵子は柳八重の紹介で光太郎と出会った。創作に悩んでいた時、紙絵の創作をすすめられた。1912年(明治45年)4月、太平洋画会展に2点の油絵を出品し、6月には団扇絵展を開催。1913年(大正2年)9月、上高地に行く光太郎を追い、一緒に絵を描いた。翌年、光太郎と同棲をはじめた。活動の拠点は東京だが望郷の念は福島にあった。。1929年、実家が破産し精神的に病むようになる。1932年、自殺を図る。1935年(昭和10年)、南品川の精神病院「ゼームス坂病院」へ入院した。創作力を取り戻し、紙絵の作品を多く制作。1938年、肺結核で亡くなった。ゼームス坂病院跡地に慰霊碑「レモン哀歌の碑」がある。
安達太良山の薬師岳展望台に「ほんとの空」(智恵子抄より)の標柱がある。「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川。智恵子は東京には空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」
光太郎と鞍石山(智恵子の杜公園)を歩き、そこから安達太良山を見た。1992年、酒蔵であった高村智恵子の生家が再現、裏庭に智恵子記念館が開設。記念館には彼女の油絵、紙絵が展示されている。
プロフィール

- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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