翡翠の里「奴奈川」


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翡翠の里(ひすいのさと)「奴奈川(ぬながわ)」

新潟県糸魚川市は日本でも唯一の翡翠の産地。糸魚川周辺には、蛇紋岩が多く存在するので見つけられるかな。(※翡翠狭での採取は禁止されています。)

 

翡翠とは、金より珍重されていた。「生命の再生」を意味する。金属のように錆びることがない事、非常に硬い石なので永遠にその艶を保つことができるという。色は、翡翠色の深緑が知られているが、ピンク色、黄土色、白色もある。翡翠は、日本古来から「三種の神器」のひとつ「八尺瓊勾玉」に使用されてきた。三種の神器は、日本神話の天孫降臨にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けたもので皇室代々に今も伝わる。八咫鏡(やたのかがみ)天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指す。勾玉は、生まれる前の胎児の形で、子孫繁栄を願い縁起物とされている。出雲では、玉造りが盛んであった。

・翡翠狭(小滝川) 明星山(1118m)のふもと。この明星山はサンゴ礁からできた山。石灰岩から成る。クライミングの名所。
・翡翠海岸 小滝川の支流の姫川は日本海に注ぎ、海岸に打ち上げられヒスイ海岸では「ヒスイ探し」イベントが行われ、専門家の鑑定を受けることができるそうだ。

・翡翠神社(奴奈川神社)越後国一宮。天津神社の末社で同じ境内にある。奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。第12代景行天皇時代(130年)の創建で、孝徳天皇(594年~654年)の勅願所であったと伝えられている。『延喜式神名帳』には式内社として記されている。奴奈川姫は、祭祀具「翡翠」を支配していた巫女王。豪族は、翡翠を持っていることが条件とされた。日本神話に奴奈川姫命の元を出雲の八千矛命が訪れ、大層気に入った。姫は大国主命に歌を贈答し 一日後に求婚を受け入れ、結婚した両神の間の子が建御名方命(たけみなかたのみこと)であり、姫川を遡って信濃国に入り諏訪大社の祭神である。元々は、糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷にあったが、元暦二(1185)年に山崎に移り、その後現在地に鎮座された。

天津神社は、第12代景行天皇御代の創建で第36代孝徳天皇(594年~654年)の勅願所と寛文2年 (1662) 改築の拝殿棟木に記されている。祭神は、天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)、左が天児屋根命 (あめのこやねのみこと)、右が太玉命 (ふとだまのみこと) の三柱で伊勢神宮外宮相殿の祭神と同じ。天太玉命は八尺瓊勾玉や八咫鏡を天照大神に捧げた。本殿 は、寛政九(1797)年に改築。大変珍しい総欅造りであり、棟梁は糸魚川の相馬十郎左衛門昌信。

『万葉集』(巻十三 三二四七 作者未詳)に詠まれた
渟名河の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜しき君が 老ゆらく惜しも

「渟名河」は現在の姫川。奴奈川姫に由来し「底なる玉」は翡翠を指している。沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王。天沼矛の名のように古語の「ぬ」は宝玉の意味があり「ぬなかわ」とは「玉の川」の意。

 

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ