祈りとカンナビ
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祈りとカンナビ ~神代(かみしろ)を神体(しんたい)とする~
人が生まれた頃、二足歩行でき手を使うことができたが道具はまだ使えなかった。植物の実を獲った。水中から魚を得た。高いところから低いところに物が落ちることを知った。木に登り、遠くを見ることができた。日が暮れれば、木の上で寝ていた。
その後、道具や火を使えるようになった。動物に石を投げつけ狩猟した。火山の噴火をみたのか火を起こす事を知った。暖をとり、平地で暮らせるようになった。果実の実や動物の骨、皮などで器をつくりスープをつくった。泉や哺乳動物の乳から水分を得た。
そして、言葉を発明する。岩屋に火をたきつけ、文字や絵を描いたり彫ったりした。病や怪我があることに気づき骨で占った。人が亡くなれば、土に埋めるか、鳥に食べてもらい骨だけになる。植物や動物、太陽や海など森羅万象に感謝するようになった。そしていつしか、祈りを覚えた。
「かんなび」とは、神の山。
ここは、御神体が「富士山」。本殿がなく遥拝所があり、15m×8mの玉垣がある。石塁は、溶岩の石列。離れていてもすごいパワーを放っていた。神聖な空気と大風が吹きそうな。これまで、本殿をつくろうとしたが大風で吹き飛んだ。二度目は棟上げ式の時に吹き飛ばされ、村にも大風が吹いた。この事から「風の神の祟りがあるから本殿はつくってはいけない」となった。全国に1300ある浅間神社で最も古い。創建は不明だが、垂仁天皇(紀元前29頃)に、祀られていたとされる。噴火の時、溶岩がこの地を流れた。そのため、大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が社殿を富士山本宮浅間神社に遷座し里宮とし、こちらは山宮となった。
以前、大斎原に伺った時を思い出していた。熊野本宮大社の旧社地。2基の石祠が祀られているのみ。熊野川・音無川・岩田川の合流点にあったが、明治22年(1889年)の大洪水により500mほど離れた地に遷座されたのだが、その聖地は、静かで厳かで言葉では表現できない。この山宮浅間神社もそうだった。
遥拝所からの富士山の山頂は煙突型でなく鋭く格別な威容をたたえていた。日本最高峰の3776mで天気が変わりやすく笠雲が出現する。このような光景は運がよいとの事。
溶岩の台地に登ると、遥拝所があるが、大風が吹きそうな感じがする。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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