一切経山(1949m) 強風の試練


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一切経山(1949m)いっさいきょうざん 強風の試練

安倍貞任が仏教教典の「一切経」を山に埋めたという伝説による(弘法大師だとする説も)。「大蔵経」釈迦の教えである「経」と、教団の規則をまとめた「律」、後世の仏教徒による教義の解釈である「論」の「三蔵」を基礎として、それに解釈、史録などが加えられたもので5300巻にのぼる。現在、写経といえば256文字の般若心経だが、なんと「一筆一切経」を成し遂げた偉人は二名だけである。世尊寺五世藤原定信(1088-1158)は一切経5048巻を仁平元年(1151年)から23年間かけ書写。春日大社でこれを供養し、多武峰で出家、法名を生光とした。また、筑前・宗像社の社僧・色定法師良祐(1159-1242)が、文治3年(1187)から嘉禄3年(1227)まで41年かけ書写。興聖寺と宗像大社に現存する4342巻は、国の重要文化財に指定されている。

その一切経山は浄土平(標高1600m)にある。荒涼とした火山荒原で噴煙を上げている。地獄と浄土、信仰から命名されたものだと思う。1893年(明治26年)の大噴火では2名が亡くなった。近年では1977年(昭和52年)と、2008年(平成20年)に噴気があった。また、2014年、噴火警戒レベルが2に引き上げられ、周辺の立ち入りが禁止されたが、2016年、レベル1に改められた。なお、火口への立ち入りは禁止されている。

アクセスは「磐梯吾妻スカイライン」で1959年、開通。当初は有料道路。2013年に無料開放された。霜降付近は絶景。火山の白い砂礫と紅葉の対称が素晴らしい。しかし、有毒ガス注意で車の窓を開けないようにと標示板がある。喘息もちの人は特に。
それから、摺鉢山(1707m)があり、富士山の山容にみえる事から「吾妻小富士」と呼ばれ、春の田植え時の雪形「吾妻の雪うさぎ」として親しまれている。ここまできれいな摺鉢山はそうそうない。御鉢回りは50分ほどで。
そして、五色沼(通称:魔女の瞳)は、同名で福島県の磐梯高原にもあるがそれは「五色沼湖沼群」。ここは、単独の湖沼。一切経山の山頂から眼下にみえるブルーの絶景はここだけ。「魔女の瞳」は八幡平が有名。しかし、この五色沼は美しい。

コース:往き 90分 帰り 80分 合計 170分 鎖場・岩場なし ロープなし ガレ場あり 強風注意

浄土平ビジターセンター(1600m) 40分 酸ガ平・鎌沼分岐 50分 酸ヶ平避難小屋 一切経山(1949m)
一切経山 35分 酢ヶ平避難小屋 【休憩】 45分 浄土平ビジターセンター

天気予報は「曇り」浄土平は、風は弱かったが、気温は7℃。空気が澄んでいる事から、浄土台天文台があり、天体観測の名所として知られている。スタートはここから。噴煙あがる山をみながら緩やかな散策路を歩く。酸ガ平の手前にくると、吾妻小富士の遠望がきれい。避難小屋のガレ場をすぎ、一切経山の稜線上に出た途端、爆風。おだやかな山容だが、明治時代から度々噴火し灌木が生えるのみで厳しさを見せつける。あと20分。ここまで来たのだから。でも手はかじかむし、顔も冷えて来て表情が出せない。唇も青くなる。そこまで想定してなかった。しかし、同時に吾妻小富士の絶景が励ましてくれた。標高は1900m。山頂に着く頃、手がしびれてきた。山頂にはケルンがあった。一切経が埋まっているのか。「空気大感謝塔」「万邦平和生存感謝」の標柱があった。五色沼はどこに見えるか。少し奥にいったところ崖下手前の眼下にみえる「魔女の瞳」。ほんの少しだったが、神秘的なブルー。おりてきて避難小屋があり、そこで休んだ。こういう時、ホットコーヒーかお湯とカップ麺があれば体力が回復できる。午後3時を過ぎれば、気温は3℃しかない。安達太良山よりも磐梯山よりも高いのだから。しっかりとした防寒対策が必要。

 

少し高度があがると吾妻小富士がよく見える。紅葉がきれいだ。

鎌沼方面は、緑豊かな湿原が広がる。

 

 

灌木しか育たない。爆風が吹き荒れる。

砂礫のみの岩山。鳥も鳴かない。厳しい自然。

山頂は広い。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ