「石上の地」と七支刀【国宝】1650年


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「石上の地」と七支刀【国宝】1650年

大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社 日本最古の歴史書、和銅5年(712年)太安万侶が編纂した「古事記」に記述が。また『日本書紀』にある「神宮」は出雲大社と石上神宮と伊勢神宮のみであり、日本最古の古社。布留山(標高266m)の北を布留川が流れる。三輪神社と同じ時代にあったとされ、本殿がなく御本地を拝む。御本地は祭神(布都御魂剣)が埋斎されている高庭式の瑞垣で四方を囲む「禁則地」(44.5m×29.5m 1300平方メートル)。初代神武天皇が東征時、国土平定を願い天剣(布都御魂剣)を携えた。崇神天皇7年(西暦257年?)物部氏の祖、伊香色雄命の勅命により韴霊(ふつのみたま)・天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)・天十握剣(あめのとつかのつるぎ)を石上邑に遷し、 奏祀したのがはじまり。祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)他、摂社・末社を祀る。十種瑞宝とは、沖津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)八握剣(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)死返玉(まかるかへしのたま)足玉(たるたま)道返玉(ちかへしのたま)蛇比礼(おろちのひれ)蜂比礼(はちのひれ)品物之比礼(くさぐさのもののひれ)。物部氏の先祖である饒速日命が天津神より与えられた神宝で、死者を蘇らせる力があるとされている。

明治7年(1874)発掘したところ、伝承通り神剣「布都御魂剣」が出土。勾玉、菅玉、銅鏡【重要文化財】他が多数出土し、特に神功皇后の時代、百済から贈られた「七支刀」【国宝】(369年)は有名。大正2年(1913)、本殿が新たに拝殿奥の内陣に造営され祀られた。物部氏の総氏神であり、大和朝廷の武器庫であった。社名の「石上」は物部氏が改姓したもの。

拝殿【国宝】白河天皇が、鎮魂祭用の社殿として、永保元年(1081)に宮中三殿のひとつ神嘉殿(しんかでん)を拝殿として寄進した。
楼門【重要文化財】鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318)に建立。鐘楼は当初あったが、明治時代の「神仏分離令」により除かれ売却。
摂末社「出雲建雄神社」(いずもたけおじんじゃ)【国宝】楼門から参道をはさんだ南側の高台にある。草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)を祀る。

摂社 天神社・七座社

末社 猿田彦神社 神田神社

境外末社 恵比須神社



【国宝】七支刀 全長74.8㎝ 枝刃の形状が特徴である。神功皇后の時代(369年)東晋でつくられたか百済から倭の国へ贈られたもの。
記紀の分析から、絶対年代が確定している日本最古の史料とされている。

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鳥居をくぐり 神域に入ると 風がふいた。参道の森は新緑が明るかった。
東天紅鶏・烏骨鶏などつかいの鶏がお迎え。烏も時々、飛んできていた。

楼門が立派なつくり。門をくぐり拝殿へ。何とも 檜皮葺造りの 古いお社。
一般は 拝殿の前まで。この奥に本殿と禁則地がある。

楼門をぬけ、石段の高いところにある社殿 出雲建雄神社 天神社・七座社 へ。
七座社の檜皮葺に感銘。古くから大切に祀られお社。

大杉がみえた。さらに その先は つまり 本殿の裏側 御本地「禁則地」の前へ。
気が漂っていて 誘われるようにその地に歩んで。

そして 訪れたこの日(5月16日)は、奇しくも「1650年」か。

七支刀にある銘文「泰□四年(369年)夏の中月なる5月、最も夏なる日の16日、火徳の盛んな丙午の日の正午の刻に、百度鍛えた鋼の七支刀を造る。・・・」
当時の刀は晋・百済を探しても出土せず、日本史上最も古い年代の確定する史料。



















七座社の檜皮葺



プロフィール

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☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ