御寺「泉涌寺」初詣 天皇菩提


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京都 東山 御寺 泉涌寺(せんにゅうじ)初詣

御代替わりの「親閲の儀」で、上皇、上皇后、また天皇、皇后が4代前の孝明天皇陵【後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)】を訪れた。

歴代天皇に相当する数の位牌を祀る、また月輪陵をはじめとする 天皇14代と皇室39の陵墓を祀る。華香院の役割を担い「御寺」と称される。

弘法大師がこの地に草庵を結び「法輪寺」としたのがはじまり。藤原緒嗣によって再興された。鎌倉時代、月輪大師「俊芿」(がちりんだいししゅんじょう)が後鳥羽上皇など皇族を受戒し、皇族の祈願寺となった。建保六年(1218年)俊芿が大伽藍を造営し、嘉禄二年(1226年)主要伽藍が完成。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく涌き続けている。後鳥羽天皇、順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師について受戒するなど、公家、武家両面から深く帰依された。仁治三年(1242年)四条天皇崩御の際は、御葬儀が営まれ、稜墓が造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代14天皇、皇后・親王39の御葬儀が執り行われ、月輪陵(つきのわのみさぎ)をはじめ、後月輪陵 後月輪東山陵が造営され祀られている。

多くの塔頭。楊貴妃観音堂。霊明殿(天智天皇と光仁天皇から昭和天皇までの位牌を安置)仏殿(釈迦・阿弥陀・弥勒の如来像を安置)月輪陵、後月輪陵 後月輪東山陵、
また別院として「雲龍院」【悟りの窓】新熊野(いまくまの)観音寺【後白河法皇より山号を賜り「新那智山」】、来迎院、善能寺などを構える。

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朝6時に泉涌寺道に辿り着いた。まだ宵の口。この日は、日の出7時頃。少しすると 鳥の啼く声がする。カラスとキジだろう。
近くに、鳥辺野陵(とりべのりょう)がある。平安時代、化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)は、鳥葬、風葬地の一つで 寂しい地であった。
新熊野観音寺の鳥居道と泉涌寺墓地を通ったが、早朝ランナーが数人と出会った。墓地の手前で車は通行止め。
曲がりくねった道を行くと、「鳥辺野陵参道」とあり石畳の上り坂を行く。京都市内が一望できる地であった。坂の頂上に陵墓があった。

第66代一条天皇の皇后、藤原定子をはじめとする、第60代醍醐天皇皇后穏子、第64代円融天皇女御尊称皇太后詮子、第69代後朱雀天皇皇后禎子内親王、第70代後冷泉天皇皇后歡子、第72代白河天皇皇后賢子、第73代堀河天皇女御贈皇太后苡子が祀られている。

その後、来迎院へ。「ゆな荒神」といい 三大荒神のひとつ。左手 客殿に「含翆庭」という茶殿あり落ち着いた雰囲気。
大師の独鈷水や願いの石がある。

8時30分頃、駐車場に着いたが 続々と初詣に来る人々。
泉涌寺 堂内は撮影禁止。脱帽。月輪陵 圧倒される。天皇14代と皇室39の陵墓。

仏殿の内観は素晴らしい堂内で思わず声をあげた。釈迦三尊像が安置。奈良の大仏殿に匹敵するかのような。
天井画も素晴らしい。【写真撮影禁止】

 

 

 

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ