日光「紫雲石」発祥の中心地
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日光「紫雲石」発祥の中心地
勝道上人 天平7年4月21日(735年5月17日) – 弘仁8年3月1日(817年3月21日)が日光山を開山したのが766年。大谷川【だいやがわ】の激流を神仏の加護を受けて渡り神橋【しんきょう】)山内地区に庵を結び、二荒山【ふたらさん】(男体山【なんたいさん】)の霊峰を拝していると、ある日、紫の雲が立ち昇り男体山方面にたなびいた。(紫雲石【しうんせき】)が、青竜【せいりゅう】・白虎【びゃっこ】・朱雀【すざく】・玄武【げんぶ】の四神守護【ししんしゅご】の霊地と感じ、ここを「紫雲立寺【しうんりゅうじ】」とし、後に「四本龍寺【しほんりゅうじ】」と改名。782年(延暦元年)宿願の二荒山山頂(2486m)を極め補陀洛(ふだらく)と名をつけた。後に二荒山(ふたらさん)とする。
延暦20年(810年)嵯峨天皇即位に際し、四本龍寺、二荒山神社で天下泰平を祈願し、四本龍寺に「満願寺」の称号を賜る。後に「輪王寺」となる。三重塔、観音堂などで構成され、日光発祥の中心地とする。
「二荒山神社別宮・本宮神社」は、延暦九年(790年)勝道上人が「四本龍寺」内の鎮守「二荒山神社」を創立、二荒山(男体山)を祀る。嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁が来山し、滝尾山麓に阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音を祀る「本地神宮寺(現在の輪王寺、三仏堂の起源)」を創立した際「二荒山神社」は、新たに二荒山(男体山)をお祀りする事になった「新宮」に譲り、馬頭観音の応現である「太郎山権現」=「味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」をお祀りする「本宮大権現」とした。
(三山) (三仏) (三所) (三神) (三社)
女峰山 - 阿弥陀如来 -女体権現 - 田心姫命 - 滝尾
男体山 - 千手観音 - 男体権現 - 大巳貴命 - 新宮
太郎山 - 馬頭観音 - 太郎大明神 - 味耜高彦根命 - 本宮
四本龍寺観音堂の脇にある仏岩と碑文。厳かで重々しい。気がひきしまる思い。
紫雲石の伝説がここにあり。
三重塔
観音堂と三重塔の間にある社。低い鳥居と不動明王。
観音堂の扁額
観音堂と三重塔
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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