水無宮「古事記」
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飛驒一宮水無神社 ひだいちのみや みなしじんじゃ 奥宮は「位山」とする みなしは「水のない川」から転じて「天の川」を指す
主祭神 御歳大神(スサノオの息子)
創建の年代は不詳。神代にありとする社伝。清和天皇の御代(858-876)に従五位上に列したと記録あり。『延喜式』で飛騨国の一宮とされた。鎌倉時代には「水無大菩薩」。近世には水無大明神・水無八幡宮と称した。戦国時代、祭祀が途絶えた。元禄5年(1692)から吉田神道系に属する。1773年(安永2年)の安永騒動の舞台。1871年 (明治4年)、近代社格制度において国幣小社に列した。1945年(昭和20年)8月22日から9月19日まで、熱田神宮の御神体(天叢雲剣)が一時安置されたという。
ここに来た時、天皇陵のような壮大さを感じた。本殿、神殿は遠い。一段ずつ登ると景色が変わるというか、近づいている実感がする。「みなし」「みなせ」から水の神様。
冷たい水でなく温かい水(白湯)のイメージがする。
昭和天皇がここを重視していた事がうかがい知れる。日本最古の歴史書「古事記」の編纂者「稗田阿礼」は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人で出生が不詳。飛騨の出身と推定されている。天武天皇は681年に古事記を編纂するよう勅詔を出した。その時、舎人の稗田阿礼が28歳。頭脳明晰で、天皇から帝紀などを誦習するよう命令された。天皇天皇が崩御し、25年が過ぎた元明天皇の御代(711年)に勅詔があり、古事記が編纂される。編纂の時、太 安万侶は彼が話した事を書き取った。序文にのみ稗田阿礼の記述がある。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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