竹取物語と中秋の名月


現存する日本最古の物語「竹取物語」 かぐや姫が「中秋の名月」に月に昇っていく「いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる」
竹は、「神の依り代」とされてきた。すくすくとあっと言う間に伸びる。そして、竹の花は、数十年から120年に一度しか咲かない。ハチクは、2023年頃に咲いたようだが、天変地異の予兆なのか。
一斉に咲くと枯れる、いや地下茎の一部がしぶとく生きながらえているのか。それは、竹の種類も種子あり・なしのものが存在する。まだわからない事が多いようだ。
「いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。 野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり。 名をば、さぬきの造(みやつこ)となむいひける。 その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける・・・」
私たちは、何故に月をみるのだろう。「竹取物語」にはさまざまなシナリオが。「月の不死信仰」で、月の満ち欠けが生と死、再生の象徴とされ、不老不死の力があると信仰されていた。また、月には不老不死の薬があると。羽衣の伝説も入っている。
実は、竹取物語は、作者は不詳、成立が平安時代初期とされているが、飛鳥時代の実在人が登場する。かぐや姫は「壬申の乱」の5人から求婚をされ、無理難題のお題を出して断ってしまう。
・石作皇子(いしつくりのみこ)は丹比嶋真人(たじひしままひと)か。
・車持皇子(くらもちのみこ)は藤原不比等(ふじわらふひと)か。
・右大臣阿倍御主人(あべのみうし)
・大納言大伴御行(おおとものみゆき)
・中納言石上麻呂足(いそのかみまろたり)物部連麻呂(もののべのむらじまろ)と同一人物
そして、この物語の舞台はどこか?ここ讃岐神社と言われている。ご祭神 散吉大建命(さぬきおおたけるのみこと)など。現在は、若蔵稲乃命(わかうかのみこと)、讃岐伊能城命(いのしろのみこと)、大国魂命、大物主命の4柱。
『日本三大実録』元慶七年(883)の散吉大建神・散吉伊能城神に従五位下を授けられた。
赤鳥居から参道をすすめると、左側に竹林があり、また池がある。確かに、讃岐造がこの周辺に住んでいた事をうかがわせる。
当初の御祭神は、散吉大建命(さぬきのおおたけるのみこと)だった。
本殿の北にある見事な竹。
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