古関裕而記念館~福島~


古関裕而(こせきゆうじ)記念館~福島~
古関 裕而(1909年(明治42年)8月11日 – 1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。山田耕筰の推挙で東京の楽壇に進出。クラシック畑からポピュラー畑に転身、数多くの流行歌、歌謡曲、映画音楽、軍歌の作曲を手掛け、音丸の「船頭可愛や」、中野忠晴・伊藤久男らの「露営の歌」、伊藤久男の「暁に祈る」、霧島昇・波平暁男の「若鷲の歌」、渡辺はま子の「愛国の花」などを発表。戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」や、二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、藤山一郎の「長崎の鐘」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」、織井茂子の「君の名は」、岡本敦郎の「高原列車は行く」ほか、数多くの大ヒット曲を世に送り出した。他では、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、名城大学応援歌「真澄の空に」、三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「六甲おろし」、読売ジャイアンツの球団歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、東京五輪の選手団入場行進曲「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、応援歌、行進曲で数多の作曲を手がけた。また、母校の福島商業高等学校の校歌「若きこころ」を始め、多くの校歌を作曲。5000曲に及ぶとされる。没後の1989年に国民栄誉賞の授与内定が打診されたが、遺族が辞退している。
福島県は、全国第3位の大きさをほこり、郡山といわきと福島が30万人都市の拠点だが、福島駅周辺は落ち着いた街並み。古関裕而のモニュメントが迎えてくれる。メロディーバスに乗車して記念館を訪れるとよい。記念館には書斎、作業場が再現されているが、そこに楽器はない。楽器を一切使わずに頭の中だけで作曲を行っていた。ベートーヴェンのように絶対音感と想像力や記憶力が優れていた。楽譜に記す事で音を感得し、和声をイメージできる。あるいは、和声をイメージして旋律を書き出せたのだ。その頃の、リムスキー=コルサコフの作曲法の本がおいてあったのが印象的。作曲家は自立できたのかというと、古関の場合は、才能を認められている。作詞家や歌手のコラボも欠かせない。西條八十やサトウハチローや菊田一夫の作詞家、藤山一郎や伊藤久男の歌手を忘れてはならない。
「オリンピック・マーチ」は、終盤に「君が代」の一部が挿入されていてさすがと言うべき。2019年、オリンピックが題材のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』、2020年、古関裕而をモデルにしたNHK連続テレビ小説『エール』で使用された。2021年、東京オリンピック2020の閉会式の行進曲として57年ぶりに使用。私には、長崎の鐘やとんがり帽子、高原列車は行く、六甲おろしなどが馴染みある。古関マーチは、これからも発信しつづける。
私のお気に入りは「三日月娘」作詞:藪田義雄 作曲・編曲:古関裕而 (1947年)戦後の最初の映画のヒット曲は「リンゴの唄」だが、「ラジオ歌謡」の一端目のヒットはこの曲だった。退廃的なムードに嫌気がさしていた頃、この曲に救われたのだと。
流暢なリズムはマーチだが、3拍子。ショパンのポロネーズの如く。オブリガートにオリエンタルな音階。ピッコロやクラリネット、ヴァイオリンが描写している。哀愁のメロディーに藤山一郎の楷書の歌。
砂漠の時代、人はどのように生きるのか。寂しいときや悲しい時、疲れたときに、何かしらすがすがしい気分になる・・・
幾夜重ねて 砂漠を越えて
あすはあの娘の いる町へ
鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が
思い出させて 風に鳴る
恋は一目で 火花を散らし
やがて真っ赤に 燃えるもの
あの娘可愛いや 三日月娘
宵の窓辺に チラと見た
急げキャラバン 夜道を駆けて
町へひとすじ 遠灯(とおあか)り
鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が
はずむ心に 触れて鳴る
記念館は、教会のようでもあり、ホールでもある。デザインが素晴らしい。
ホールで、ピアノやハモンドオルガンの演奏のイベントが開催されている。
プロフィール

- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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