国宝「銅鏡」隅田八幡
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日本最古のひとつ 国宝「銅鏡」 80円切手の図案にもなった。銅鏡は 全国のいくつかの地域で出土した。が、漢字48文字での銅鏡は ここにしかない。人物画象鏡は、日本最古の金石文のひとつとして古墳時代に日本人のよる刻字。中国から贈られたものでないことは 材料 産地等を調べればわかる。
金石文 癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
「癸未年」が、西暦443年を有力視する説、503年とする説がある。いずれも、斯麻(しま)、開中費直(かわちのあたい、河内直、『百済本記』云、加不至(カフチ))、今州利はそれぞれ人名と解釈されている。
443年説
倭王済が宋に使いを遣わして「安東将軍倭国王」の称号を得た年であるから、大王は、允恭天皇を指す。また、意柴沙加宮(おしさかのみや))は皇后・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ、雄略天皇母)の宮処となる。日下大王、大草香皇子(454年没)のこと。
503年説
諱に「斯麻」を持つ百済の武寧王(在位:502年 – 523年)とする。百済は当時倭国と緊密な外交関係をもち、大陸の文物を大量に輸出しており、鏡の作者「斯麻」を武寧王と推定する。
男弟王を(おおと、継体天皇)とする。しかし、『日本書紀』の「磐余玉穂宮」(526年遷宮)の前に「忍坂宮」のある大和国に居ることになり矛盾が生じる。
隅田八幡 隅田という 田んぼの多いところに 突然 坂道がありそこを登った途中に社がある。そこを八幡山としたのか。古来は 隅田八幡神社 大高能寺。 明治維新の神仏分離令で 分かれた。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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