「高野七里」結界「鞆渕八幡」
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「高野七里」結界「鞆渕八幡」
高野七里とは、約28km四方の事を指す。八方蓮華の5つの入口のある高野山金剛峯寺を空海がみつけたのは三鈷杵を振りかざしたときに三鈷の松にかかりたどり着いたといわれている。また「高野明神」という高野を案内する二匹の犬に連れられ山にたどり着いた。
祭神は応神天皇・仲哀天皇・姫大神。元は石清水八幡宮の荘園であり別院として平安時代に創建された。安貞2年(1228年)後堀河天皇の勅により石清水八幡宮から神輿が送られた。現存の神輿は平安時代末〜鎌倉時代初期のもので日本最古で国宝に指定、鶴姫伝説と縁ある。三間社流造の本殿は、寛正3年(1462年)建立。大日堂は室町時代前期創建で本尊阿弥陀如来を安置する重要文化財。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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