2019.3.11.東日本大震災8年 忘れないで


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2019.3.11.東日本大震災8年 忘れないで

今でも時々、余震が起きている。震度4程度。むしろ活発になっていると思われる。

2011年3月11日 14時46分 時計はとまった。岩手県沖から茨城県沖の南北500㎞の震源域が同時多発的に起き マグニチュード9.0を記録。

死者・行方不明者 18432人 現在でも40万人にのぼる避難者がいる。長期的なケアが必要。
被害は東北3県に集中(宮城 10763人 岩手 5790人 福島 1810人 )14308人 が津波による溺死であった。
津波の高さは 15m以上 遡上高さ 43mを記録した。

首都圏でも 液状化現象や駅閉鎖による帰宅困難など 深刻な被害をもたらした。
築地本願寺での 帰宅困難者受け入れなど 混乱が生じたことが記憶に新しい。災害による 職場待機という対応も生まれた。

8年経つが、以前より各地で震災が起こり 敏感でなくなってきているように思う。
確かに 水害なども恐ろしい災害ではあるが、備えができていれば 被害を最小に食い止められる。
地震だけは、予測がつかないし どこで起きるかわからない。

だけど 千年に一度 簡単な言葉で片付けないでほしい。

合掌

仙台市若林区荒浜 慰霊塔 東日本震災慰霊塔 荒浜慈聖観音 松原は全滅。住宅地は嵩上げ工事のため 住民は違うところへ引っ越していった。

石巻 被災地観光ツアーにて 専修大学水産学部がNPO法人の旅行会社をたちあげ その第一号としてお世話になった。
学生さん 地元のためにがんばっていましたよ。石巻は、海に近いので海の幸が多く、また登米という米の産地が近いので
米、酒の産地でもある。八幡家の女将の料亭の料理をおいしくいただいた。東北にはいいところがたくさんある。

宮城県名取市閖上地区 日和山(閖上湊神社 富主姫神社)若い女性の宮司が一人一人にお疲れさまです。どうかされましたか?
と声をかけられている姿が印象に残った。小さな高台。ここからだと海がみえるので、ここに避難してきた人がいたが
流された。ここでも、一本の松が残った。いたるところで嵩上げ工事が行われている。

岩手県大槌町桜木町 災害ボランティア 3か月後 県ボランティアバスで30名が14時間かけうかがった。(常磐道は通行止め 新潟経由で仙台に入った)
がれきの撤去。津波が川を3㎞遡った。盛土が1mほどあり、塩の匂いなど異臭が漂うなかCDや写真、生活用品を区分し土嚢に積み
自衛隊が集積している場所に一輪車で持っていく。雨が降りそうなので、社会福祉協議会の方が午前中だけで終了してくださいと気遣いがありがたかった。


陸前高田 奇跡の一本松 塩害、強風により最後の一本も枯死したが 保存工事により残すことに成功した。復興のシンボル。
一方、嵩上げ工事を短期化するために ベルトコンベアの無機質な音が哀しく響く。人はほとんどいない。


宮城県石巻 釣石神社 北上川の対岸にある。前回の津波でも石が落ちなかったので、ここに避難した人がいた。白い階段の高さまで津波がおしよせた。


南三陸町 防災庁舎 4Fまで津波が。防災無線で呼びかけた若い命が。震災遺構として残すかどうか住民投票が行われ
解体されることとなった。

大川小学校【閲覧注意】北上川の橋が架けられ地盤が下がっているところに学校があった。地震で沈降したようだが 元々 低い地にあった。
なぜ!屋上がなかったのですか。私が見た中で もっとも悲惨な光景 言葉をなくしてしまった。

がんばろう!石巻 慰霊祭。地元の人は 家で仏壇に合掌していて 静かに過ごしたいと思っているはず。
慰霊祭にも何らかのかたちで協力する姿に感動する。献花には、一人一人の魂に手を合わせる気持ちが。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ