7/24 米軍機の機銃掃射 追悼の碑 記念式典
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戦後67年目にあたる。わが町は小さかったが 昔は宿(しゅく)があって ターミナルで貨物列車が通った。
戦中は、燃料が外国から入ってこなくなり松根油が代用燃料として精製され 航空燃料として期待された。その松根油を積んだ列車が米軍のB29に被弾し 死者が出たのだ。
記念碑が建立され慰霊際が7月24日行われる。
http://hashimoto-news.com/news/2012/04/24/11437/
戦争から学ぶ。「いじめられてもいじめないで」
しかし 現代は事件が多く精神論だけで成り立つのだろうか。
「行き詰らない社会」を皆が望んでいるに違いないのに。
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ちなみに昭和20年の4月から8月間で松根油生産量(バレル)
陸軍 64、980 海軍 191、960
民間 無し(昭和19年まで生産)
また、精製する為の蒸留釜の数が昭和20年で37、007個となってます。この釜の稼働を維持するのは月間38万トンの松根と従事者が125万人必要というのですから‥‥
実際に精製に成功した航空ガソリンは3、000バレル程度であった。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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