「美保神社」ゑびすさま
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「美保神社」ゑびすさま
出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」事代主神系えびす社3,385社の総本社。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除け、「鳴り物」の神。4月7日の青柴垣(あおふしがき)神事、5月5日の事代主神とその御后の御神霊を「地之御前」「沖之御前」島から迎える神迎(かみむかえ)神事、12月3日の諸手船(もろたぶね)神事などがある。
御祭神 右に 事代主神 海上安全・大漁満足・商売繁盛・学業・歌舞音曲(音楽)
大国主神の第一の御子神。鯛を手にする福徳円満の神えびす様「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神。また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神。
左に 三穂津姫命 五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲(音楽)
高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神。美保という名はこの神の御名に縁があると伝えられている。
創建 天平5年(733)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には「社」が存在していた。境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前に祭祀が行われていたとされる。
本殿 文化10年(1813)造営。大社造を二棟並立した「美保造」で特殊な形式で、国の重要文化財に指定。
拝殿 昭和3年(1928)造営。設計は、明治神宮や築地本願寺を設計した建築史学者、伊東忠太氏。
神門 昭和3年(1928)造営。檜材・杉板柿葺きの屋根。注連縄の直径は50cm。吊り下げられた二つの祓解(ばっかい)。祓具を奉げ、奏楽する「祓解奏」という神事がある。
美保の崎(地蔵崎)鳥居の約4km先の島を『沖之御前』、手前を『地之御前』という。海底から神楽の音の響きがすると伝えられている。ゑびす様がこの島で鯛釣りをしていた。
宝物殿 様々な地域から夥しい鳴物の奉納があり、そのうち846点が国の重要有形民俗文化財に指定。七日など指定日に、こちらで展示される。
日本渡来最古のアコーディオン
朝日千助 嘉永2年(1849)奉納 天保12年(1841)頃、オーストリア・ウィーンで製作された、日本渡来最古の手風琴(アコーディオン)。
朝日千助は松平治郷時代の家老、幕末の頃、子孫の手による奉納。アコーディオンは、雅楽で使われる鳳笙がもとになったと考えられています。中国の笙が中世にヨーロッパに渡り、19世紀前半に笙をヒントにハーモニカが誕生し、ハーモニカが発展してアコーディオンになったと言われている。
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この日、美保関灯台を先に御参りした。地蔵埼からみえる「地之御前」「沖之御前」をみた。日本海の水平線と「隠岐の島」がとても綺麗。
そして、美保神社へ。夕方だった。港町で、大漁を祈り、漁師の生活を見守っている感じがした。漁船が多くみられ盛んな様子。「イカ飯」が名産だそう。
夕方、人はそんなにいなくて 落ち着いた参拝となった。そういえば 駐車場、僕の横に女性が車をとめた。白のブラウスにベージュのスカート。神門から入り、拝殿から本殿へ丁寧に参拝。周囲の摂社など一つ一つの神に柏手を打つ音が響いた。姿勢がよく清楚で凛としていた。
向かって右が、三穂津姫命 女神 内削ぎ 鰹木 偶数。左側が、事代主神 男神 は外削ぎ 鰹木 奇数。の原則です。
大社造を二棟並立した「美保造」で特殊な形式。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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