「乙訓寺」弘法大師「ボダイジュ」
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「乙訓寺」おとくにでら 弘法大師 「ボダイジュ」の実 仏教では、三大聖木の 無憂樹(むゆうじゅ)菩提樹(ぼだいじゅ)沙羅双樹(さらそうじゅ)のひとつ。
釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたとされ、乙訓寺の菩提樹は弘法大師が手植えしたものだとか。6月から7月にかけて薄黄色の花が鈴なりにぶら下がり、甘い香りがします。仏教の原始の地はインド。インドと日本では、風土や気候も違います。
菩提樹ですが、インドでは、インド原産のクワ科イチジク属のインドボダイジュ。袋状に発達した花托の中に小さな花がつき、種子も小粒で数珠にはできません。
インドで数珠として売られているものは、インドジュズノキやジュズボダイジュとよばれるホルトノキ科の木の種子からつくられています。
日本では、中国産のシナノキ科の木の事を指します。多種ありますが、星月菩提樹や天竺菩提樹、金剛菩提樹から数珠がつくられます。
乙訓寺は、牡丹寺としても、紅葉の名所としても知られています。平安時代、弘法大師が住まわれました。
603年(推古天皇11年)推古天皇の勅願により聖徳太子が開創した。長岡京の桓武天皇の時代、早良親王(さわらしんのう=桓武天皇の弟)がここに幽閉された。桓武天皇による早良排除の謀略か。周辺での変死者が続き疫病が起こり、早良親王の怨霊と畏れられた。延暦19年(800年)「崇道天皇」と追号される。(※、歴代天皇には含まれず)
平安時代、 弘仁2年(811年)に弘法大師が乙訓寺の別当になり、最澄とここで会い、語り合った事が遺されている。
どんよりした天気で、じめじめと蒸し暑い日。ボダイジュの実が、風にゆられている。そこには、主がいました。直径7㎝のかなり大きなカタツムリです。
また、本堂の砂利には「キタテハ」チョウの番がダンスで乱舞していました。2頭しかおらず、仲がよさそうでした。
十三重塔とボダイジュ。
日限地蔵尊 わらじ
モチモチの木(トチの木) セイヨウトチノキは「マロニエ」と呼ばれ親しまれている。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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