「震洋」戦後76年を考える
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「震洋」戦後76年を考える 1945年(昭和20年)8月15日 終戦の日
これまで 戦争特集と題して 赤紙 回天 玉音放送などを掲載しました。今回は「震洋」です。「震洋」は、鹿児島県南九州市「知覧特攻平和会館」をはじめ、和歌山県田辺市「震洋 鳥の巣平和公園平和公園」などに展示されている。
1941年12月8日「真珠湾攻撃」から太平洋戦争がはじまったとされる。ミッドウェー海戦 1942年(昭和17年)6月5日 の撤退から劣勢になった日本。昭和19年6月に八幡製鉄所が空襲を受けた。11月には本土への空襲が本格化した。しかし戦時体制の検閲があり、戦況は正しく伝えられなかった。同じ頃「特攻兵器」がつくられ整備されたのだ。「回天」「震洋」である。片道燃料、脱出できないなど、体当たり、玉粋で自爆する悲惨な兵器。志願兵を募集、訓練もままならない状態。実際、成功したのは戦艦4基を沈没させたが、それ以外は失敗に終わった。多くの若い戦士が桜と散ったのである。
当時の話を聞く。男子は大人になったら「兵隊」さんに。女子は「従軍看護師」が憧れの職業だった。
こんな世の中に戻らないように。
抑止力が「兵器」であるこの世の中で均衡は保たれているが、一つ間違えれば人類自らを何度も滅亡させることができるのだから恐ろしい事だ。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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