「あだし野の露消ゆる時なく」花冷えの頃


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「あだし野の露消ゆる時なく」化野(あだしの) 令和4年、花冷えの頃(7.6℃ー12.6℃)

みやこは「広いようで狭い」。洛東、洛中では、桜は満開になった。右京の「嵯峨野」はひんやりしているので、これから桜を楽しめる。

むかしむかし、人は亡くなると「風葬」が行われていた。京のみやこでは、西の化野、東の鳥辺野、北の蓮台野は、その地とされた。西には、浄土信仰があるとされる。

化野念仏寺 本尊 阿弥陀如来 寺伝によると弘仁2年(811年)、空海(弘法大師)が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬した。その後、法然(長承2年(1133年) – 建暦2年(1212年))が念仏道場を開き、念仏寺とした。明治30年(1897年)頃、中山通幽(なかやまつうゆう)が、埋没していた無縁仏を掘り出し供養した。平安時代から江戸時代までの約8000体が安置。空也(903年 – 972年10月20日)の地蔵和讃を例うように「賽の河原」を現している。

角倉 素庵(すみのくら そあん、元亀2年〈1571年6月27日〉 – 寛永9年〈1632年8月7日〉)は、江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。角倉了以の子。書道の角倉流を創設、能書家としても近世五人の一人。遺言により、化野念仏寺の竹林に安置されている。

この日、朝から昼過ぎまで「花冷え」でマフラーがいるくらい。昼頃、風が冷たく寒かったな。そんな時「湯豆腐」であたたまった・・・

お通しの「寄せ豆腐」から旨い。こんぶだしの湯豆腐鍋。ゆりのねの入った飛竜頭(ひりゅうず)が圧巻。ゆばも柔らかく香味。

「竹林の小径」があらわる。

角倉素庵の墓 戦国時代から江戸時代の実業家「角倉了以」【水運の父】の後を継ぐ。能書家として、空海を崇敬したのだろう。日本の出版史上最も美しい書物とされた「嵯峨本」を生み出した。

本堂 本尊「阿弥陀如来」

賽の河原 8000体もの石仏

六面体地蔵(地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・阿修羅道(あしゅら)・人間道(人間)・天道の六種の冥界)人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの六道を輪廻転生(りんねてんせい)するという。

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湯豆腐 ひりゅうずが絶品。まろやかで味の濃い「豆腐」 水が違うのだろう。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ