『古今和歌集』「賀歌」蓬莱山-さざれ石-


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『古今和歌集』「賀歌」蓬莱山 -さざれ石-

先日、終戦の日を前に、大阪護国神社にお参りしたところ「さざれ石」の石碑があった。他にも「さざれ石」碑文は北野天満宮など国内に多くみられる。
岐阜県揖斐川町に「さざれ石公園」がある。平安時代、藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)は、親王に仕えていた。江州から伊吹山を経て美濃(岐阜県)の春日谷へ訪れた際に、椀生地に用いる良質な木材を発見し、一族とともに住み始めた。石位左衛門は、古屋笹又の渓流に露出する「さざれ石」を見て「これは珍しい石、お目出度い石」詠んで奉った。「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

オリンピックの表彰式や国技「相撲」などで国歌斉唱があり、学校教育では、入学式・卒業式などで歌う。実は意味も知らず歌っていたのである。そういう授業がなかった。国歌法も制定されてなかったから仕方がない。戦後、GHQの指導により政教分離の施策が行われてきたため。国歌斉唱で、国歌を歌わないとか起立しない事があるようだが、強制されているわけではないと断りをいれる始末。

この「さざれ石」には、詩に曲がつけられている。詩は、今から約1100年前、平安時代の延喜15年(915年)の「古今和歌集」が初出。そこにはすでに「詠み人知らず」で賀歌として選集されていた。古今和歌集は、わが国はじめての勅撰和歌集。全20巻。1100首収録。醍醐天皇勅撰、紀貫之編纂。奈良時代の延暦2年(783年)にできた我が国最古の和歌集「万葉集」に含まれなかった歌を選集、編集したのである。さらに、平安時代の長和2年(1013年)発刊された「和漢朗詠集」にも収録されている。藤原公任が選集した。

日本は、江戸時代が終わり明治時代に文明開化したといえ、国歌がなかった。それを懸念したイギリス楽隊長のフェントンの提案により、歌詞があれば曲をつけようと申し出た。そこで薩摩歩兵隊長の大山が、薩摩琵琶歌「蓬莱山」の歌詞の中から、「君が代は・・・・」を取り出し、フェントンに作曲を依頼する。これが1870年(明治3年)薩摩バンド【吹奏楽】による「君が代」日本初演だった。横浜の「妙香寺」にはそれを讃えた石碑がある。その後、林広守により補作曲で手を入れ和声付けなど校訂され1880年(明治13年)現在の「君が代」になったという。

「蓬莱山」 薩摩琵琶歌

===詠み人知らず 第7巻「賀歌」343

目出度やな 君が恵(めぐみ)は 久方の 光閑(のど)けき春の日に・・・
我が君は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで・・・
君が代の千歳の松も 常磐色 かわらぬ御代の例には 天長地久と国も豊かに治まりて・・・

===

和漢朗詠集
===(祝 775)

君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

===

わが君が「君が代」に代わっている。「君(きみ)」には、明治時代から戦中までの君主と臣民という時代はだった。今は違う。

この歌が、戦意高揚を煽る歌なのだろうか。国旗掲揚が戦争を煽るのか。国家を愛し、日本人たることを感じる機会なのに。外国では、国旗が掲揚され、国歌を斉唱することに何のためらいもない。日本だけ国旗掲揚や国家斉唱を拒否して愛国の誠を捧げないのか。

「君が代」は、万世一系の天皇の御治世、天皇の御代が永く繁栄することを壽ぐ歌。戦後、天皇は日本の国家統合の象徴。日本の建国は初代神武天皇の即位であり、それから2600年余、そしてこれからも続く。天皇陛下は、国民一人一人の幸せを毎日祈られています。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ