法善寺「水掛不動尊」苔むしたお不動さん


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法善寺「水掛不動尊」なにわの情緒溢れる『夫婦善哉』最も大阪らしいところ

「月の法善寺横丁」藤島桓夫 ~包丁一本、晒しに巻いて~

「夫婦善哉」は1883(明治16)年で、文楽の太夫である(人形浄瑠璃の語り手)の竹本琴太夫が屋号「お福」で創始した。
1940(昭和15)年に、文豪・織田作之助の代表作「夫婦善哉」で描写。また、映画化された。一人に二椀の善哉を前に「ひとりより夫婦の方がええいうことでっしゃろ」
ふたりで仲良く善哉をすする最期の場面がある。

法善寺:いつでもおまいりできて線香が絶えない。江戸時代の元和6年(1620年)琴雲法師が浄土宗天龍山法善寺を京都宇治に創建。寛永14年(1637)住職の中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づき、現在の地に移転。専念法師は「千日念仏回向」を行った事でも知られる。実は、この地が千日回法要を行うほどの「葬送の地」であり、厳しい行でお経を唱え供養をした。それで、ミナミの法善寺が「千日前」と呼ばれるようになった。

千日前法善寺には「西向不動明王」通称:水掛不動尊が祀られている。絶えないお参りの人から願掛けの水を掛けられ、緑あざやかな苔に包まれている。
法善寺のお不動さんは、すべての人に分け隔てなくご利益を与えると言われている。昭和20年(1945年)3月13日、大阪大空襲で六道伽藍(ろくどうがらん)が焼失。しかし、水掛不動尊は免れたのだった。お参りは、まず水で手を清め、真ん中のお不動さんに3回、そして右の童子さんに1回、左の童子さんに1回、最後に再びお不動さんに1回水をかける。下のバケツに水がない場合は、隣の井戸で水を汲みましょう。月28日は縁日で護摩供養が行われている。

他に「二河白道堂」(にがびゃくどうどう)は、平成21年(2009年)に完成。白い道を歩むとよい。
「金毘羅堂」「お初大神」は平成25年(2013年)に復興した。この復興には、上方の落語家、桂春団治らがたちあがった。戦後の上方落語を支えた「四天王」(六代目笑福亭松鶴・三代目桂米朝・五代目桂文枝)の1人。法善寺横丁の看板は春団治の揮毫かな。

コロナ禍の3年間だったが、2022年(令和4年)11月は、外国人観光客が少し戻ってきた。彼らは大阪の歴史に興味を持ち、ここを訪れる。また、スマホをQRコードにかざしガイドをみながら学んでいた。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ