モーツァルト/交響曲第40番ト短調 modulation


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モーツァルト/交響曲第40番ト短調k.550 「華麗なる転調」modulation

久方ぶりにスコアをみている。モーツァルトの音楽は天衣無縫でわかりやすく慰めを持っている。
ハ長調やシャープひとつやフラットひとつの調を中心とする曲群のイメージが多い。

しかし、モーツァルトの本領は、交響曲第39番、40番、41番であり、ケッヘル番号だとK.549 k.550 k.551
ピアノ協奏曲では、第20番ニ短調k.466から変化している。第23番イ長調k.488マイナー部分はトラジック。
24番ハ短調k.491になると半音階の動機が支配し音楽的に盛られた。27番変ロ長調k.595は、境地である。
それは半音階にある「深刻さ」を伝える事。ベートーヴェンのタタタタ~のような連打でない。

41番「ジュピター」は、最後のシンフォニーであり、壮大で内容も精緻を極めているので目立つが、私は40番を推したい。構成が似ている25番もト短調だが、時季が違う。25番は、ハイドンの影響がないともいえない。そして、後のメンデルスゾーンに影響している事がうかがえる。ピアノソナタの世界をそのままシンフォニックに持って行った純粋さが垣間見える。が、この後、モーツァルトが円熟する。交響曲第41番「ジュピター」の第4楽章は、バッハの対位法に影響されフガートを効果的に使用した。

第40番ト短調k.550 知ってはいるけど「あまり聴かない」とは宝石のようだ。それは「深い音楽」でintimate(親密)な作品である事。自筆譜面は、ブラームスが所有していた。後に楽友協会に遺贈。シューベルトも好んでいた。

それは「ループ」である。この曲には終わりがない。一体、何度繰り返しても終わった感じがしない。バロック時代の協奏曲:宮廷音楽のBGM的なもの「食卓の音楽」と違うのだ。モーツァルト自身も気づかなかったのかもしれない。モーツァルトは天才なので、激しい転調を生む作品が書けたが、精神的に消耗してしまった。あのチャイコフスキーが交響曲第6番「悲愴」を書いている途中、哀しみにむせび泣いた。何というか自分の作品に客観的になるはずなのに、本当に感動してしまった。という事から、モーツァルトは気分が脱落し「未完になった」作品がある。大ミサ曲ハ短調k.427、そしてレクイエムニ短調k.626だ。

コンスタンツェは「愚妻」として知られている。ヴァルゼック伯爵依頼の遺作「レクイエム」をモーツァルトが病魔に没した後、弟子ジェスマイヤーに作曲を依頼し補筆完成したのだが、それをヴァルゼック伯爵に渡す前に、プロイセン国王や楽譜商に売り抜けた。また、ヴァルゼック伯爵に満額の報酬を受け取った。(共作になっているはずなのに)
コンスタンツェは、モーツァルトを看取ったと言われているが、ほんとにそうかな。療養の地でモーツァルトの死を知ったのでは。事実、マルクス共同墓地に葬られた時、コンスタンツェは立ち会わなかった。どんな理由があるのだろう。骨はどこにあるかわからない。ウィーン中央墓地32番に「モーツァルトの記念碑」のみが建てられている。
モーツァルトの謎は深まるばかりである。

 

オーケストラ用が原曲だが、いくつかの編曲がある。これはピアノ独奏用のもの。他にチェンバロ4手などの演奏もある。和声を参考までに。
第1楽章の有名な出だし すでに半音階的な不協和が5小節目に出ていて愁いを帯びている。

ちなみに現代で「シルヴィ・バルタン」がこの曲の冒頭部分をアレンジしたシャンソンを歌っている。

展開部で半音階的におりてきて嬰ヘ短調の和声。7小節目の音は不協和的だが大変麗しい。たしか、シューベルトの第21番変ロ長調のピアノソナタの中間部など嬰ヘ短調で愁いがあった。

第4楽章
ト短調の主和音が支配する。この曲には、シンフォニーであるのに関わらずトランペットやティンパニ「鳴り物」がない事から、極めて純粋さが表現されている。

展開部の冒頭、ストレット。半音階や減音程が劇的。1小節目の弱拍から「ソ♯ ラ ド♯ 三♮ ソ ♭シーラソ」の動機がキーを変え、フガートとして展開し機能的に活かされるところが見事。

Cm→Gm→Dm→Am→Em→Bm→F♯m→C♯m→G♯mと次々に変わっていく。
つまり♭3つ 2つ ♭1つ なし ♯1つ 2つ 3つ 4つ 5つ と調号を減らしたり増やしている。バッハの対位法を自らの作曲法の円熟によってなせた技。

特にF#のダブルシャープ(7小節弱拍~8小節)が「厳しい調和」となり、哀しみを増幅させている。

F#m→Bm→Em→Am ♯3つ 2つ 一つ なし 調号を減らし魔法のような、それで音楽になっている。

再現部からまたはじまるが、今度は違うキーへ転調しながらコーダに向かう。

弦楽で古楽器などは減衰が速く線が細いので一瞬のように思えるが、2段目をピアノで奏すると「ピアノソナタイ短調k.310」より深刻さが伝わってくる。当時は、モーツァルトは母を失っていた。それよりも40番の時の方が哀しい。モーツアルト自身も救済を求めていた・・・美しい音楽にパトロンの理解を得ようとしたが。

 

「変ロ長調で終止」する場合と「ト短調で終止」する場合の比較 動機が機能的に使用されていて無駄がない。転調しようとする音階が決定的だ。それはベースが握っているから。第2楽章のような同じ音の緩やかな下降や上昇など瞑想的なのと対照的。

4小節目の低音部の♮Hと高音部のDが不協和をぶつけているが、それが悲壮感を示す。それから四分音符の16個の音のスケールだが、ハ短調の音階を一気に上行することにより引き立てている。

最後の小節に休符がないが、終止線の上にフェルマータが書かれるべき?あるいはFineがあるべきか。
リピートするのだ。それが、展開部の冒頭のストレットにスイッチし、わりと長いフガートの処理が盛り上がりをつくっている。2回目の終止は、(楽譜にはない)【最後から2小節目にrit.】で終止感を出している演奏がほとんどだ。が、本当に終わりなのかと思う・・・この曲の魔法。「ループ」なのである。

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ