令和五年「夏越の祓」2023.6.30


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令和五年「夏越の祓」2023.6.30

1年の折り返しにあたる6月30日、半年に溜まった気枯れを落とし、残り半年の息災を祈願する。「茅の輪くぐり」で厄除けを行う。

「方違神社」の茅の輪 無病息災。暑さと厳しい夏へのお見舞いです。平成22年(2010年)創建2100年を迎えた古社。崇神天皇5年に疫病が大流行し、多くの民が死亡しました。天皇は同8年(紀元前90年)勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原に遣わせ須佐之男神を祀らせたところ、疫病は途絶え五穀は豊穣となっり、これが神社創祀の起源とされている・・・旅の途中に宿を求めた素戔嗚尊を、質素ながらも蘇民将来が厚くもてなした。素戔嗚尊の言った事を信じて、茅の輪を腰につけていた者は疫病を免れたという故事に由来(「日本神話」より)

「蘇民将来」とは、みすぼらしいみなりのスサノヲを助けた、心優しい神様の事。
「茅」という雑草の植物に霊力が備わる事を知る。茅葺の屋根に使い、保存食「糯」を粽に包んだ。甘い香りがする。救荒の食糧としても命をつなぐものだった。
摂津、河内、和泉の3国の境に位置し、“方位のない清地”

住吉大社の創祀に際して、方角を視た。神功皇后は、妊娠中でありながら朝鮮半島に出陣して新羅を討ち、帰国後に応神天皇を産んだといわれている。
また、空海は遣唐使の留学が命がけの旅だった事から安全を祈願。後鳥羽上皇は、熊野詣を何度も行ったが、方違神社で祈願した。

 

 

茅の輪の前に立つ。厳かな心で「茅の輪くぐり」をして社殿に。

創建2100年記念事業として、2015年~17年に社殿造替が事業化され完了した。社殿の金色と参道の白が印象的。

神明社(しんめいしゃ)天照大神を祀る

また、境内に「鈴山稲荷」がある。金色の「幸鶏の鈴」ゆかりの地。神功皇后が方違えの祓の折、日ごろ手飼いにしていた黄金の鶏を、鈴山古墳に埋め、
鶏は毎朝、鈴の鳴るような声で日の出を人々に知らせたという。

チガヤ(千萱)雑草。イネ科 30㎝~60㎝の鋭い葉が垂直に伸びる。5月~6月は白い綿毛のような花穂をつける。糖分を蓄える。
ほのかな甘い香りがし、噛むと甘みがある。

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ