九相図「諸行無常」橘嘉智子【檀林皇后】
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九相図「諸行無常」橘嘉智子【檀林皇后】(786-850)
日本初の禅寺「檀林寺」を創建。風葬に晒された後、嵯峨陵(深谷山陵)に眠る。
809年、第52代天皇・嵯峨天皇の親王時代に夫人となった。
815年、嵯峨天皇即位にともない皇后となる。嵯峨天皇との間に仁明天皇(正良親王)・正子内親王(淳和天皇皇后)他2男5女をもうけた。
823年、淳和天皇に譲位後、皇太后となる。
833年、仁明天皇即位にともない太皇太后となる。
836年頃、日本最初の禅寺「檀林寺」を創建。(現在は廃寺)
850年 崩御。風葬を遺言し、晒された場が「帷子ノ辻」。後に、深谷山陵に眠る。
美貌の人。その美しさにみとれ、僧が修行に身が入らないと言った。高位にありながら、信仰篤く、出家し、辞世について風葬にしてほしいと言い、その絵を描かせるようにしたのが九相図。その場所は「帷子ノ辻」。貴人は火葬や土葬だったが、一般は風葬や鳥葬で、墓地すらなかった。それらは、蓮台野、化野、鳥辺野であった。六道の辻にある西福寺には檀林皇后ゆかりの九相図がある。九相図とは、死体が朽ちていく経過を九段階に分けて描いた仏教絵画で小野小町が知られている。828年、空海が創建した西福寺は、檀林皇后もよくお参りした。
今や葬儀、バブルの頃のような盛大に「送る」ご時世でなくなったような気がする。コロナ禍以降、一般は小さく、芸能人でも密葬された後、公開される。公人や社会要人は、以前のような葬儀となるだろうがシンプルなスタイルだろう。故人のスライドショーは現代のスタイル。それに、墓に対する考えも変わってきた。墓石に名前を刻むことは、亡き両親への恩返しで、やがて自分も大切に育ててくれた父母と安らかに眠る安寧の場所。墓も横置きで洒落たものがある。他方、墓なしの考えもある。共同墓地でなく、散骨で船から大洋に撒くという。多種多様。
たしかに現代の私たちは、陵墓、御廟、仏塔、五輪塔、宝篋印塔、卒塔婆、他に供養塔から墓碑をありがたく拝謁する。檀林皇后の遺言は大きな意味がある。美人とて亡くなればただの屍。あらゆる事は「諸行無常」。般若心経の世界。死をおそれず、後悔のない人生を過ごす事が最良ではと問いかける。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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