弘法大師正御影供 2024.3.21


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弘法大師正御影供(しょうみえく)2024.3.21

この時期になると高野山が近いかなと。厳冬の高野山はいいものですが、壇上伽藍の金堂の厳かな風景は言葉で表せません。
標高は900m。標高の割には、雪が多い。最低気温が-10℃の日もあるので、雪雲が来れば雪が積もり、なかなか解けない。
基本的には、高野山は11月中旬から4月中旬までスノータイヤで運転することが望まれている。こたつもそれくらいの時期は使用している。暖冬傾向が続いているが、油断は禁物。
例年だと、3月中旬に一度、暖かくなり気温が10度の日があらわれる。そして、寒の戻りが何回かあり、その間には雪が降ることもある。

こんな寒い時、1月下旬、玉川で寒中水行とは。水温は0度。
山桜は4月15日頃に咲く。昨年は、バッハイベントの3月27日、標高400mの天野の山桜が咲き始めていました。山上は寒かった。

金剛峯寺の年中行事は多くある。5月3日~5日に「胎蔵界結縁潅頂」、10月1日~3日に「金剛界結縁潅頂」、6月15日、宗祖降誕会「青葉まつり」など。

そして、お大師様は、3月21日の寅の刻、ご入定されたのでありました。(774年~835年3月21日)
正御影供(しょうみえく)3月21日、午前9時から執り行われます。お大師さまに報恩を捧げます。御影供はお大師さまが御入定されて76年目の延喜10年(910年)3月21日、京都東寺(とうじ)の「潅頂院(かんぢょういん)」にて、当時の長者の観賢僧正(かんげんそうじょう)が始められました。高野山では久安4年(1148年)3月21日に金剛・胎蔵の両秘法を修法して報恩を捧げました。

彼岸会(ひがんえ)3月21日 午後1時 伽藍金堂で、お彼岸中日前後三日間、執り行われます。

 

 

中の橋にある「汗かき地蔵」 母方は、高野山の出で先祖は民宿をやっていたという。中の橋霊園にかつて墓があった。土葬だった。年4回の盆暮れはきっちり山上に墓参していた。高野山は、その頃まだ「有料道路」で、しかも馬車が走っていた。一の橋では、高野槙の売店があり、飛ぶように売れていた。
現在は、山上にコンビニ、ファミリーマートができて馴染んでいる。ごま豆腐は、角浜がおしゃれなお店。高野山も変わらないところと変わっていくところが面白い。国道480号線は、拡幅され交通の便がよくなったが、橋本高野道路の国道370号線の拡幅工事が行われており、将来、交通の便が良くなることが期待される。

奥之院には20万基と言われる墓碑がある。戦国武将、大企業、物故者、慰霊塔など。

書家、手島右卿の「大悲」

御供所と護摩堂、弘法大師御廟に参詣。奥之院にて、護摩祈祷。そして、御廟の前で、般若心経を唱える。ここでは、15分くらいいるようにしている。

真言宗のお経、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三昧耶会真言、開経偈、般若心経、十三仏真言、舎利礼文、延命十句観音経、光明真言、大師御宝号、大金剛輪陀羅尼、廻向文、観音経偈、三和讃、光明真言和讃、真言安心和讃 など。

慈手観世音菩薩、腕塚、大石順教尼之墓に必ず手を合わせる。映画「天から見れば」に登場する大石順教は、両腕を失ったが、口筆で絵を描いた。金泥の字で書いた般若心経に私は感動した。日展で入選。高野山金剛峰寺で得度し尼僧となった。京都勧修寺仏光院を再興し、障碍者のために人生を尽くした。

奥之院前から参道 ここから800m 弘法大師御廟までの道

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ