苔のふすまで「平泉寺」
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苔のふすまで「平泉寺」1300年
養老元年(717年)、泰澄(682.7.20 – 767.4.20)が開山。泰澄大師は修験道の僧侶。文武天皇時代に「鎮護国家法師」に任ぜられる。また、元正天皇時代に「神融禅師」を賜る。天平9年(737年)に孝謙天皇より「大和尚位」を賜った。神護景雲元年(767年)に越知山「大谷寺(おおたんじ)」にて86歳で入滅。「霊応山平泉寺」とし、比叡山延暦寺の末寺として栄えたが、盛者必衰あり。南北朝時代になると南朝の後醍醐天皇の味方についた。1440年頃の失火と1574年の一向一揆により焼失。天正11年(1583年)顕海により再興。明治時代、国の「神仏分離令」により「平泉寺白山神社」にされた。祭神は、本殿が「伊奘冊尊」、本殿右「別山社」天忍穂耳尊、本殿左「越南知社(おおなむちしゃ)」大己貴尊(大国主命)を祀る。奥に、三之宮(安産の神)があり、栲幡千々比賣尊(たくはたちぢひめのみこと)を祀る。また、楠公の供養塔がある。ここから「越前禅定道」として白山を登拝した。
なかなかたどり着けない。「永平寺」の標示はたくさんあるのに。白山神社はそこらじゅうにあるし。勝山市は「恐竜のまち」をアピールしているが。何とか着いたがこの静けさ。「苔のふすまで」。100種以上の苔があり「苔宮」とも、青緑の苔が美しい。中宮平泉寺参道はなだらかな石畳。入口に手水舎。九頭竜川の石を普請。参道の両脇にスギやブナの老木が林立。苔の生えているところは、その昔、馬車道。積雪時には雪を被っている。「御手洗池(おみたらし)」は「平清水」と言われた湧き水の池。泰澄が影向岩(ようごいわ)で白山妙理大権現に遇われた場所で白山の開山に関係する。二の鳥居をくぐると、中を通る拝殿への道。古い樹木と苔の中、立派な拝殿に圧倒される。その裏に御本社など三社がある。参道右手の三之宮が気になる。遠くにあるのだが、体が自然に向かう感じだった。はじめて来たのに。森の中を進むと、三之宮の祠が重厚な感じ。安産の神は、機織りの神である。広大な社地の御手洗池以外に水の気配がなかったが、ここは大きな水の音がする。再興された時、ここが拠点になったのがわかる。しかし、何だか寂しい。楠公の供養塔。何だか変、神社だよね。納経所。なぜ?その脇に無数の壊れた石仏が。心がいたんだ。直感でここに来れたのは、呼ばれたからなのでは。寺院と神社、お互いに手をとって、日本を歩むために情をかける事だと痛感した。最後に、泰澄を祀る「開山社」に手を合わせた。
この日、猛暑日。富山市で37.6℃や福井市で35.8℃。うだる暑さに雨粒が。あっという間に滝のような雨になった。参拝中は、傘を持ってなかったので、シャワーを浴びた。苔になった気分。
御手洗池(おみたらし) 不思議な池
二の鳥居
拝殿
泰澄大師を祀る
拝殿。奥に、御本社、越南社、別山社があり、中核を成す。
また、右側に参道があり、遠くにお堂がみえた。気になる。体がまっすぐその方向へ自然に向かう。
楠公の供養塔。
納経所 脇は壊れた石仏。心が傷んだ。
なんというか、凄いところだったんだ。今の私たちは、先祖の力添えがあってなし得ている。潰されたもの、失くなったものの上にある事を。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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