ベートーヴェン/ピアノソナタ第26番「告別」


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ベートーヴェン /ピアノソナタ第26番「告別」作品81a(1809)

ベートーヴェン(1770-1827)「楽聖」 生誕250周年を迎えるメモリアルイヤー。https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/

教科書で習うベートーヴェンは「悲愴」ソナタにあるように難聴という困難を乗り越え、人類遺産の一つである「第九」を作曲したとある。難聴とは、感音性難聴と伝音性難聴があるが、最近の研究では、後者であるようだ。まったくではなく、少し聴こえていた可能性がある。現代のように再生機がない時代に、作曲に関する能力が明晰であった。

ベートーヴェンは幼少の頃、モーツァルトを超える天才だと持て囃され素晴らしいピアニストであった事から、将来、時代を代表する作曲家になるだろうという期待に応えるべき、プレッシャーの中で作曲を開拓していった。それは、新しい「現代音楽」であった。彼は宮廷音楽家の道でなく、演奏会の収入、楽譜出版、レッスンで生計を立てていく。
特に神聖ローマ皇帝レオポルト2世の末子「ルドルフ大公」が生涯最後まで庇護者をつとめた事が大きい。ハイドンは30年間も宮廷音楽家であった事とは事情が違う。

性格的には、はったりをかますようなところが散見される。「第九」のエピソードのなかに「ミサ・ソレムニス」を並行して出版社に高く購入してくれるように交渉した。

さて「告別」ソナタの事。自分でタイトルをつけた曲は「悲愴」と「告別」くらい。それ以外「月光」や「熱情」「テンペスト」「ワルトシュタイン」ハンマークラヴィア」などは、出版社が勝手につけたものである。作曲技法の転換点がこの辺りにある。1809年は「田園」「運命」交響曲、またピアノ協奏曲「皇帝」の大作を生み出した傑作の森だった。

1809年オーストリア戦役 1809年4月10日 – 10月14日)は、オーストリア帝国がナポレオン1世のフランス帝国による覇権に挑み、戦役。5月、ナポレオン軍がウィーンに侵攻、ウィーンを疎開し、ルドルフ大公もウィーンを離れた。戦闘は半年ほど続き、11月にフランス軍はウィーンから撤退。翌1月、ルドルフ大公はウィーンに戻ってきた。

 

 

第1楽章 アダージオ → アレグロ 4分の2 → 2分の2 変ホ長調。序奏は、黄昏のバラードのよう。主題は、オクターブや上昇を含み、前向きな感じが。第2主題は、早い走句、メリハリの効く、リズムの変容も巧妙。全体的に半音階的な和声進行が特徴。

第2楽章 アンダンテ 4分の2 ハ短調 間奏曲 リズムとところどころのスフォルツァンドがベートーヴェンらしい。

第3楽章 ヴィヴァーチェシモ 8分の6 変ホ長調 左手が主導権を握っている。右手の主題が左手にとって代わる。右手のトレモロが特徴。早い走句が快活である。

 

プロフィール

nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ