バッハへの思い2015-2024「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」10Th Time


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バッハへの思い「2015-2024」バッハ・イン・ザ・サブウェイズ10回目

バッハとの出会いは、小学5年生のピアノレッスンの時に教えていただいたヘルムート・ヴァルヒャのトッカータとフーガニ短調のオルガン。ヴァルヒャは盲目のオルガニストだ。師匠の博子先生は、バッハを敬愛し、トッカータとフーガニ短調のレコードを聴かせてくれ発表会で連弾しないかと言われた事があった。

2015年、とある事から関わる事になった「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」は、最初の2015年が1日で4会場とバッハ・マラソン。創始者チェロ奏者デール・ヘンダーソンの思いを伝えなければと奔走していたなあと。2016年、開催日が3日となり5会場で。2017年が4日間で6会場。2018年が4日間で7会場。その後、全国規模への拡大への実践。2019年は、八ヶ岳リードオルガン美術館や2020年、静岡バッハハウスなど。2021年、2022年はコロナ禍で実践が難しかったが、4会場で開催を実施。2023年は、創始者デール・ヘンダーソンが来日し、京都会場が2か所、神戸会場1か所、和歌山会場1か所と九州・小倉「夢追い人」を追加し5日間8会場となった。2024年は、5会場で開催します。東京・本郷「cafe Bon Art」と和歌山・紀泉台「ウェスレーチャペル」での、初めての開催です。

バッハの音楽は心のよりどころです。世俗曲はもちろん、明るく優雅で。やはり本質はオルガン曲や声楽曲など。
特に、マタイ受難曲やヨハネ受難曲は「四旬節」に演奏されることが多い。些細な事に囚われていたことが慰められ浄化される。

人は感情を持っています。それをコントロールしながら。しかし欲望あればこそです。その欲は利己でなく他利のために使う。結局、それが戻ってくるでしょう。それでも心が荒ぶ事もあります。音楽は自分を開放し、ニュートラルにしてくれる。だから、生きるのに必要なもの。それは、水を枯らした茎のようで、水を得ると元気になる。人は水がないと生きていけない、枯れるもの。もっとも大事なのは根っこの部分。

キリスト教【カトリック】では、厳格に歴史を刻んできたが、たびたびの危機が訪れる。ご存じの通り、カトリック教はルネサンスの傍ら、免罪符を出したが、このやり方にルターは批判した。改革を断行したもの、それがルター派【プロテスタント】であり、現在に至る。また、カトリックのなかでもイエズス会は、改革を行い清貧を善とした。改革は、多岐にわたった。ラテン語でなくても本質をわきまえていれば構わないと。歌は「聖歌」と言い、聖歌隊が歌うもので一般は聴くだけでした。それが「讃美歌」として生み出された。聖歌隊でなく信者さん他が歌うことができた。教会での教えのみが重要とされていたが、聖書を手に取り自分で考え実践する事に。カトリックでは聖人にも信仰を篤くするが、プロテスタントでは、重視していない。

バッハは音楽家は神の召命であると考えていた。作曲の終わりにS.D.Gと記していた。ベートーヴェンは「建造家などさまざまな職があるが、音楽家が神に最も近い存在である」と述べている。私たちにバッハが教えてくれている。

聖書の中で、イエスが息絶える前に「果たされた」と。そして、枯渇したとも。そのあと、天変地異が起きた。そして、涙が海のように溢れたとあります。どこから涙はくるのか。私たちの血。
バッハの世界は尊い。入念な音の準備。そして、明暗の調和が絶妙である。それは光を見る事。

A マタイ受難曲(全68曲)65曲「わが心よ己を清めよ」。Mache dich, mein Herze, rein
あなたが自らイエスを墓に葬ったのだ。Ich will Jesum selbst begraben.
中間部の哀しいところ。fur und fur seine susse ru hehaben とこしえに甘い安らぎを得られますように
訣別した響きはもっとも美しい、ここが言いたかった。Welt, geh aus, この世よ、出て行け!
そして、イエスを迎え入れるのだ。

 

B ヨハネ受難曲(全40曲)から第35曲「溶け去れ、私の心よ、涙の満ち潮に」 Zerfließe, mein Herze

Dein Jesus ist tot! あなたのイエスがなくなったのだ。
たびたび出てくる tot は、死んだ。静まり返る場面。

ルターがいなかったらバッハも生まれていないかも。ルターは音楽に大変理解があった。讃美歌「神はわがやぐら」

 

プロフィール

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nishikunn
☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー  ピアノテクニシャン  なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ