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フレデリックショパンは ポーランドで生まれ フランスの作曲家 1810-49 ピアノの詩人である。ショパンの曲を弾きたい人はたくさんいるでしょう。すぐ習って弾ける曲は少ない。
ポーランドという名前は平らな土地という意味で ロシアとドイツの間にあり たえず戦争に苦しめられて来た。彼らはポーランド語を大切にしている。ロシア語でもなければ ドイツ語でもない。ゲルマンでもスラブでもない。戦前はユダヤ人が多くいたのだが。カトリック教であり ギリシア正教とも違う。
ところで 1830年は ポーランド情勢がよくなかった。ショパン自身も国内にいると反逆者ととらえられるかもしれなかっただろう。フランスに行き ショパンとフランス式に名乗る。
このときの作品は バラード1番 スケルツォ1番 革命のエチュードなど 激しさと 誰もが描けなかったピアノ作品の追求を彼自身が出来たのであった。そして 練習曲は違う風に響くよと書いているようにショパンは今までのエチュードの常識を破り芸術性高いものになった。もちろんこれは ピアノコンチェルト 2番 1番を演奏するための フレーズが盛り込まれている。エチュードとしては 現代のピアニストにとっても 全曲演奏をなかなかさせない 金字塔となっている。
ピアノ作品でシンフォニックは書かなかったが バラード4番や 幻想ポロネーズ ソナタ2番、3番は ピアノ作品に稀有の他の楽器に編曲できないような 誰も描けない 響きの世界がある。ショパンが最も大切にしている小品はマズルカである。マズルカを1曲じっくりとみてみるとショパンの世界がつかめるだろう。私が演奏したい曲は 作品59、63など 後半に多い。
ショパンコンクールは5年に一度開催されており ピアニストの登竜門としての権威であり ショパンの作品で審査される。アジア大会もあり また ショパンコンクール ノミネートなるものがある。 浜松国際ピアノコンクールは世界的なピアニストの選抜される舞台であり 日本では権威あるコンクールのひとつである。
私が行きたかったのは 聖十字架教会 この柱にショパンの心臓がおさめられている。フランスで生涯を終えたショパン。祖国に帰りたかったのだろう。ノクターンなど演奏のときは 祖国への気持ちを込めて弾く。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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