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【曲予定】バッハ ミサ曲ロ短調 BWV232
【ピックアップ】強烈な最初の荘厳な音で始められる「ミサ曲ロ短調」そして キリエ・エレイソン 主よあわれみたまえ 次のキリエも又 半音階進行で 悩める心情をあらわしている。
バッハの作品としては マタイ ヨハネ 受難曲についで 最高傑作とされている。
この曲に取り組むのは 1733年ごろと考えられ カンタータ作曲の頃のものを集大成し 総力で取り組んだ。音楽学者はこう指摘する。バッハが全人生をかけた作品。晩年 目が見えなくなり創作が減るが1749年完成。楽譜の浄書を行うなどこの曲に対する執念がうかがえる。
サンクトゥスは1724年にキリエとグロリアは、1733年に作曲。キリエは、1733年2月1日に没したザクセン選帝侯強健王アウグストの追悼のために、またグロリアはその子アウグスト3世の選帝侯継承の祝賀のための作品。なお、アウグスト3世はポーランド王位継承のためにカトリックに改宗していた。バッハはこの作品(キリエとグロリア、 BWV 232a)をアウグスト3世に献呈する際に、1733年7月27日付けの書簡を添え、「ザクセン選帝侯宮廷音楽家」の称号を望み、ライプツィヒでは「苦労の連続である」ことを訴えている。この2曲は、1733年に、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハが6月からオルガニストを務めていたドレスデンのソフィア教会にて演奏されたが、アウグスト3世の臨席はなかったと考えられている。なお、1734年には、ライプツィヒを訪れた王夫妻のために、その臨席のもと世俗カンタータ を演奏しているが、その冒頭部はロ短調ミサ曲の「ホザンナ」と同じである。クレド(ニカイア)は1732年に作曲。1748年に、バッハは全曲の清書譜を作成した。
大バッハに尊敬する音楽家 生涯をかけてバッハの作品を演奏する試みや録音など 素晴らしい。
鈴木雅明 バッハコレギウムジャパン 京都バッハソリスデン 芸大カンタータクラブ バッハカンターターアンサンブル・・・
バッハの驚くべき事実
9歳で母親 10歳で父親が亡くなり 孤児となった。長兄クリストフに引き取られたが、合唱団の仕事をする傍ら 夜は屋根裏部屋で月光の光を頼りに 写譜を続け 音楽を体得していた。14歳で教会の給費生となり 自分で築きあげていった。また、教会オルガニストをつとめながら カンタータをコンスタントに作曲しつづけたこと。ほとんど毎週 20分~40分の曲を1707年~35年ごろに約300曲つくられる。その間に 協奏曲やオルガン曲 コラールも書かれていたことを考えると その創作力も 神がかりであった。
子孫をたくさん残し 最初のマリア・バルバラ(1680-1720)で7人、後のアンナマグダレーナ(1701-1760)との間に 13人いた。エアフルトでバッハの名を知らないものはいなかった。
カールリヒターの指揮は名演である。最初の強烈な響き 「キリエ」が荘厳な音楽。キリエエレイソンの半音階的進行は 憐みを表現している。
次回は12月28日(日)です。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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