世界遺産 「吉野山」に初詣。
吉野山とは 山全体をいう 吉水神社、如意輪寺、竹林院、桜本坊、喜蔵院、吉野水分神社、金峯神社 寺院などを総称した呼び方。また 大峰山系 天川村一帯も 吉野山と言う事ができる・・・
金峯山寺(きんぷせんじ) 吉水神社(よしみずじんじゃ) 明治時代の分離令 により 分かれたが 元はひとつ。吉野千本櫻の名所 売店が軒を連ねる賑やかな山里 の登り口「中千本」に 吉水神社 の「鳥居」があり そこから境内が。仁王門をのぼると 蔵王堂があり 壮大な威容に驚く。
蔵王権現、修験道は 役行者(えんのぎょうじゃ) が創建された日本古来の山岳信仰。仏教に取り入れられた。櫻は 蔵王権現の神木とされ 何万本といわれる櫻の木がある。
人形浄瑠璃・歌舞伎の『義経千本桜』は江戸時代に初演。
吉水神社 は 「南朝 後醍醐天皇」らの居所であり 源義経 太閤秀吉 静御前 ゆかりの地である。
ここに南朝があった、鎌倉時代末期から室町時代初期にあたる。
南北朝について 私が中学校で習った歴史の授業では 南朝 吉野朝が滅ぼされ 統一された 北朝は京都にあり そのまま 引き継いだと思っていた。が、実は 驚きで 南朝が正統であり 皇室は 南朝の天皇を数に入れている。「三種の神器」の所有をもって天皇の条件としていたから。北朝が南朝の「贋作」を奪い取り 本物は南朝にあった・・・
足利尊氏は 鎌倉幕府を 後醍醐天皇とともに 倒幕に協力し 幕府は滅亡した。が 後醍醐天皇の建武の新政に不満を持った尊氏が 追い出し 後醍醐天皇は南朝に構えることになった。北朝は 裏切って 自分の子孫に天皇を継がせたという。本来なら 南朝の後醍醐天皇に継がせるべきであった。やがて 尊氏は征夷大将軍に任命され 室町幕府を開く。しかし 南北朝時代は続いた。3代将軍 義満のとき 南朝の後亀山天皇が 後小松天皇に 三種の神器を渡し 和睦、統一された。
「南朝皇居 吉水神社」 が 正統であるのなら 五條市の「賀名生(あのう)居所」も もっとアピールし 歴史探訪を深めた方がよいと切に思うのである。
ここから 吉水神社
役行者 鬼神(きじん)を 使役できたといわれた 伝説の人であるようだが 吉祥草寺に生まれ 金剛山 葛城山 にいたとされる。天河弁財天神社 をはじめ創建 また 高尾山(東京)で修行されるなど 霊場がたくさんある。
私が 気を感じた場所がここ。庭園の横 絵馬がある この岩山から すごい気が感じられた。