バッハ マタイパッション passion 受難曲 メンデルスゾーンの歴史的復活上演により バッハの作品が よみがえることとなった。バッハの真価を発見したと言われている。
疑問がある。バッハは本当に忘れ去られていたのだろうか。いや そんな事はない。宗教的大作を披露した事は歴史的な意味を持つのだろう。
ベートーヴェンもモーツァルトもバッハを研究していた。フーガという形式の作品など。モーツァルトも晩年 スクエアピアノのための小品を。ベートーヴェンは 対位法をバッハから学び、弦楽四重奏曲「大フーガ」ピアノソナタ29番~32番は 対位法やフーガを巧みに発展させたのである。また、バッハは 小川でなく 大海であると言ったのもベートーヴェン。
ところで 日本で最近 馴染みになった 「ハロウィン」流行る理由があります。私は 最近まで 「アメリカでの銃撃事件」が気になり ハロウィンの行事に抵抗がありました。
が、仮装する機会があり やってみると これが好評で・・ハロウィンの日 渋谷駅周辺は 凄い事になっているのもわかるような気が・・・
他にも理由があるんだけどね。
こういった行事 儀式というかは いくつかあります。
復活祭 イースターは イエスキリストが亡くなった日から3日目に復活した事を祝う行事。春分の日の次の満月の日の最初の日曜。毎年 変わるようです。
2017年は4月16日がイースター。私の誕生日。ちなみに 同じ日は チャップリン モンポウ ベネディクト16世ローマ法王 マンシーニ 大西順子 が揃う・・・光栄だわ。
そして 受難節というのがある・・・私は「受難」という言葉を真剣に考えてきました。
人は 愚かな存在です。たった一言で 人を死に追いやり 潰す。道具を持てば武器として脅威にさらし傷つける。愚かなものをつくりだし搾取する対象を利用し 優位に生きる。そう 自分だけがよければいい。世界中で紛争がおきていて、多数の民衆が殺害されている。地獄絵図、それが人間でしょうか。一方、助け合いをするのも人間。困っている人を見れば 貴方は 声をかけてあげますか?そして 励ましてあげますか?
私は、人は、ある時々(節)に 禊をするものだと 言い聞かせています。いい時ばかりではない。それは 自分自身が起こしている事により低下する。自分自身を 新鮮にするために必要なこと。いうなれば 自分自身をニュートラルにするために必要だと。
古くは 星をみて 田を耕し作物を収穫し 食べ物に感謝し 衣服を着られることが どんなにありがたかったことか。明日の食べるものに困り 狩漁をしたり草をたべ根菜や実をとって食べたり そうやって生きて行くことを身を以て知った。世のおこることは 何かの示しであるとされ 儀式というものを確立していった。壁に絵を描いたり 簡単な石器などをたたいたりして踊り 祈り 再びおきることをしずめようとした。
新たな自分に生まれ変わる。そうやって 来たのが 禊であり 祈りであり 重陽であり 知恵を出して人はここまでたどりついたのだと思う。現代は、対峙するものを大切にすることが求められる。嘘が多く 相手に対する余裕のない人は いさかいを起こす。そういう人は せいぜい 自分だけで 生きればよろしい。
芸術は 生きる根源を覚醒させる。根本にある 心をゆさぶるものを活かしていく。昨日の「チャペルコンサート」で思ったが 聴いているとき 涙した人を何人とみた。純粋に 今日 この場所にいて音楽を聴けたことを 喜べる そういう人に憧れる・・・
音楽は、空気の振動と 12音階の周波数の派生だが 時として同じ音は存在しません。また、人と人との出逢いは、千載一遇。その事に感謝が足りないと、とんでもないことが起きてしまうのです。音楽をするには ニュートラルの自分がなければなりません・・・冷静に自分をみる、相手をみる、感謝に満ちている事がとても大切なのです。
受難曲(PASSION)とは,ユダの裏切りから,イエス・キリストの逮捕,裁判,十字架上の死、(復活)という一連の出来事を物語風に歌った劇音楽。聖書の句を朗唱するエヴァンゲリスト(福音史家)と,イエス・キリストをはじめペテロ,ピラト,ユダら登場人物の言葉を歌うソリストと合唱による。40日間にわたる四旬節の主日(枝の日曜)に終わり,受難の日とされる聖金曜日に向け聖週間が始まる。「受難曲」は聖金曜日の夕べの礼拝にて演奏されている。
バッハの「マタイ受難曲」が生まれるまでには,先人の試みがあり、バッハよりも100年前に生まれたドイツの作曲家ハインリヒ・シュッツは,バッハと違い、合唱だけによる「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ルカ受難曲」という3つの優れた受難曲を残しているのです。
これは、人類の大きな遺産。言葉を越えて音楽の素晴らしさが伝わってきます。