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3月10日~11日 東日本大震災 の被災地を慰問しました。私は 取材の意味もあり お話をうかがったり、許可の出ているところを撮影させていただいた。もちろん、撮っていいものと悪いものがあることを理解しているつもりです。(2015年の記事)
物語がありました。 彼女は Sさんといいます。
今、大学1年生 被災した時は 中学3年生でした。 よく話してくれる 親しみやすくそしてまっすぐな彼女。1時間も話せば 打ち解けています。話をしていると 安堵を求めていることがわかるような気がする。
・・・ あの時、父や母が仕事場に出ていたので おばあちゃんと高いところに逃げてきたそうです。 地震が起きて 1時間くらいの間 必死で 地元で高台のあるところへ。その後、 彼女は 地元に残り 地元の会社に関わることで喜びを得ています。 他の地域から 石巻の復興を熱心にサポートする ボランティアに感謝しながら。
私は思います。地元の方のケアをしっかりとするべきです。自分で精一杯。 町への愛好も人一倍。弱さを見せられない。 地元で 私と話してくれたのは 彼女ひとりだけだった。彼女は偉いと思う。地元で学生がNPOをたちあげそこでがんばろうとしている。
「がんばろう石巻」で 14時46分の黙禱 マスコミが直前から写真を撮り続けている。会場は、地域外の人が多いような気がする。地元の方は家で黙禱をするのだろうか。気丈にふるまっていた彼女だったが、ある時 抑えられない気持ちが。黙禱の直前から気持ちを止められなかった。私は、隣にいたが何もできずただ茫然とするのだった。背中をさすってあげることしかできなかった。かわいそうだった。黙禱の1分間は普通のサイレンでなく気の遠くなるほど長く感じた。天国へ行って欲しいと祈っている時に撮影などできるはずがない。私は、一人の人としての術を間違いなく選ぶ。
この事はあまりにもとてつもなく大きく、一人で問題を解決できるようなものではなかった。 ましてやまっすぐな彼女の事だから呑みこまれてしまう。 この地を離れればどれだけ楽になるだろう。しかし、物事は簡単ではない。 若者に託すのは良いことだろうけど。若者が街を出て行き、残った若者に負担が行き追いつめられる。そういうことも理解してあげてほしい。
もうひとつは、地域外の人が ここに復興の手伝いをして住んでいることを忘れないで。被災した人と同じ気持ちにたてるそういう方がいるからこの町は復興してきたのだから。私はここに来るため、何人かの方とコンタクトをとっていた。Iさん(関東からここに移り住んでいる)Yさん(石巻在住)、会えるかなと思っていたが時間の関係で会えなかった。が、Oさまは学校の講師をされていて、私を最寄りの駅まで送ってくださった。Yさんは「案内します 最寄りまで送ります」Iさんは「ぜひまた石巻に来てくださいね。」
ここを離れ家に帰るまで見送る気持ち。帰りの飛行機に乗る前のメッセージのやりとり。感動していた。「来てくれてありがとう」というその気持ちだけで熱くなる。そういう町なんだ。同じ日本に あたたかな交流が。次回 近いうちに行きたいです。
プロフィール
- ☆PCPAL代表取締役 日本アコーディオン協会理事 FMはしもとパーソナリティー ピアノテクニシャン なにわシャンソンコンクール審査員 市ボランティアサークル連絡協議会副会長 TOPページへnishikunnのページ
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