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八ヶ岳「硫黄岳」の世界


八ヶ岳「硫黄岳」の世界

桜平駐車場(中)(1900) ⇒ 夏沢鉱泉(2060) ⇒ オーレン小屋(2330)
夏沢峠(2433)(ヒュッテ夏沢) ⇒ 硫黄岳頂上(2760)

駐車場は台数の多い(中)がおすすめ。(上)だと 帰りに駐車場まで上ることになるので。
登山口から 夏沢鉱泉まで ザレ道を下り上がり 進む。
これくらいの坂の角度は急ではないレベル。体調の確認と靴やザックの紐の調整等を。

治水施設があり たびたび洪水や落石などの対策を講じている。
夏沢鉱泉に着いた。女性スタッフが 荷物を担いで往復しているのをみた。
4WDの車で ザレた道を走っていった。
よい温泉、スタッフの対応もよいと聞いている。休憩ポイントで売店もある。

次は オーレン小屋へ このルートから 石の大きさが大きくなる。だが 坂はきつくない。
先ほどより 少し長くかかったが 汗をたらたらかくほどではない。
6月ということと 早朝で まだ気温が上がる前だから。

オーレン小屋に着く。ここは 八ケ岳の中継地点。北には 根石岳 天狗岳 南は 硫黄岳 横岳などの縦走ができる。
ここまで 1時間半くらい。スタッフの明るい声がこだまする。

次、夏沢峠に向かう。稜線上の樹林帯なのでなだらか何ともないレベル。時間も予定どおり。ここまで2時間弱。
急に視界が開ける。そこが夏沢峠。ここから八ヶ岳は南北に分かれる。北には 天狗岳 南には 目標の硫黄岳が聳える。有史以来の大噴火で 頂上付近が吹っ飛んでしまい変な山容をしている。

さて、硫黄岳頂上へ向う。いよいよ 最後の乗越。ザレた石を気をつけて段を登る。左手に崖や爆裂火口をみながら気をつけて急坂を登る。ザレの巻き道で大きな岩を通過すると
そこには 森林限界の斜面が存在していた。頂上は一度見えたのかと思ったが その手前のケルンだった。
ケルンを3つ超えたのに 頂上に着かせてくれない。日差しが強く汗がふきだしてきた。ここで 休憩。
思ったより 長くかかる。アプローチは標準で70分だが、写真撮りながらなど90分ほどかかった。
ほどほどに人がいるのが、支えになる。道をふりかえると 天狗岳がよく見える。その絶景に 心をうばわれそう。

5つ目のケルン。ようやく頂上に着いた。広い頂上だ。爆裂火口が凄まじい地獄絵図を描いている。稜線上の峰を見渡す。
北は天狗岳ほか市街を見渡す。南は最高峰赤岳 横岳の稜線上など。左手から富士山がみえたのには驚いた。登りがいのある山だ。



6月は昼が長い。これを最大限に使って日帰り登山。しかし 工程は 予定として 7時間。
この青い空。気温は 15度くらい 肌寒い 標高は1900m。出発だ。



これが登山口。ここからは 許可車のみ。硫黄岳は 美濃戸口などもあるが。今回は、夏沢鉱泉 オーレン小屋経由。



第一の通過点 夏沢鉱泉へ。ここでは 宿泊もでき 温泉もつかることができる。



ここへ来るだけでも 別世界。賑わっている。これからシーズンだと言うのに。人気の小屋。次はオーレン小屋。





オーレン小屋(2330m)



ここまで 1時間半弱。快適な山歩き。ここから 夏沢峠か 峰の松目経由 どちらかを選択。
今回は 夏沢峠経由で。



急に視界が開けた。夏沢峠(2433m)に着く。夏沢ヒュッテは7月から営業。
ここを境に 北側は天狗岳への北八ヶ岳への稜線上の道。南八ヶ岳は 岩稜帯の存在する切り立った山上が特徴だ。
南側に 異様なかたちの硫黄岳が聳える。



ここで 栄養・水分補給をして 小休憩。天狗岳よりも硫黄岳の山頂の景色をみたいので。写真をおさめる。





今までとは違う。急登は間違いなく 厳しい登りが。







最初のケルンを発見。もう斜面は 爆裂火口の崖がある。ふりかえれば 天狗岳。








頂上と表記のあるケルンに到着。三角点を探すが・・・ 他の人もその様子はない。
広い頂上 どこでも登頂したことに変わりはない。が 気になるので さがしあてる。





これかな。三角点。どこで 休憩しようか。そういえば 火口があった。







爆裂火口。東西に1km 深さ 550m



鳥も頂上の岩場に立った。



こちらが天狗岳方面。右は爆裂火口の崖。



こちらは 横岳 赤岳などの南八ヶ岳方面。



ほとんどの人は 火口付近へ寄ってはこなかった。ここまで来ると 赤岳の後ろに富士山が隠れていたのを
見逃さない。



八ヶ岳は、130万年前からあり噴火活動を繰り返す。20万年前に活動が最盛期。主峰、古阿弥陀岳(推定 3400m)があったが 大規模な山上爆発をおこし山頂が吹きとんだ。現在の赤岳(2899m)は、最高峰。その後、硫黄岳が噴火し火口が吹きとんだ。自然の醍醐味を感じる。


嵯峨嵐山 保津峡


嵯峨嵐山 京都市西部(洛西)桂川周辺の風光明媚な観光地。平安時代から貴族の別荘地とされた。
桂川左岸を右京区嵯峨 右岸を西京区嵐山という。嵐山とは、松尾大社のある(四条通り)右岸までとみてよい。

京福電鉄「嵐山駅」付近が渡月橋に近い。阪急嵐山線は「嵐山駅」となっている。
JR山陰線「嵯峨嵐山」駅としているが、実際、嵐山までは 少し距離がある。

渡月橋 竹林の小径 周辺が外国人も含む観光客が最も多い。

桂川はかつて水の便が悪く堰をつくって水路を確保した。桂川は、鴨川と合流する京都の一級河川。
平安時代、承和3年(836)弘法大師の高弟、道昌(どうしょう)により大堰川を修築した際
法輪寺(葛井寺)から嵯峨に橋を架けられた。道昌は 行基の再来とされた。
鎌倉時代、亀山天皇(在位1260-1274)がこれを「くまなき月の渡るに似る」と謂われ「渡月橋」とされた。
戦国時代から江戸時代、角倉了以(1554-1614)が開削し、林業、舟運の開拓につとめた。

さて、嵐山からみる。小倉山、愛宕山は大堰川の雰囲気と相まって風情を醸し出す。
保津川へとすすめると 流れはゆったりめで岩礁が多く川幅は狭い。緑が麗しい。
ここは、嵯峨付近の一日100円レンタサイクルが活躍するだろう。

小倉山は百人一首で詠まれる山。また、愛宕山は京都一番に高い山。

 







 


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)


東山(大文字山火床・銀閣寺・哲学の道)

京都一周トレイルの一つの道がある。全長83kmにおよぶ
参考HPはこちら https://kanko.city.kyoto.lg.jp/trail/

銀閣寺周辺の駐車場は 1時間400円が相場である。よって 2時間半以上いるならば 1000円の観光駐車場でもよいと思う。
疎水、岡崎、南禅寺、北白川には名勝がたくさん並ぶので 時間がいくらあっても足りない。

銀閣寺は欧米人が多い。哲学の道も関係するのだろう。Kiharuというアイスバー、フルーツ氷のお店があるが ほとんど外国人。
ここはヨーロッパと勘違いしてしまう。頬張っている。

本日 団体さんがいくつもいました。ガイドさんが「空気が澄んでいる 春までがお勧め」だとか。しかし京都は底冷えするので
日程を考慮して。また、登山道は灯りがないので 夜はヘッドライトを装備しないとね。

駐車場から銀閣寺の左側からの側道を通り登山口に入る。最初 ゆっくりした上り坂だが 途中 木の段になり
最後は、急な石段になっている。

銀閣寺→(脇道)→八神社→登山口(自転車置き場がある)→千人塚→リフト(青い建物)→石段→大文字山火床

そろそろ休憩しようかなの頃に「火床」に到着。
いい汗をかいた。写真を撮りながらなので上りが40分くらいの道のり。

「大文字火床」は、結構広い。1画は80mあり、そのちょうど中心「金尾」に、弘法大師像がある。大文字焼きは、弘法大師が発案したという説がある。
ここから 西をのぞめる。「大」の字で立ち 撮影される人が多いとか。気持ちのよいところだ。



「火床」は「大」という文字を75基で飾っている。遠くからでもはっきりと見えるように、高さを利用し立体的である。
1画 19基 80m 2画 29基 160m 3画 27基 120m。

「五山の送り火」は、8月16日に行われている。
護摩木を奉納し 御焚上げをする。
20:00に大文字に点火されると、5分おきに 他の山にも順次点火され、
夜の京都は幻想的で厳かです。

 















 



 





 


パイプオルガン演奏「ホールM」


パイプオルガンには 魅せられてきた。

思えば、小学5年生頃 ピアノの先生に 連弾しませんか、と。
バッハの トッカータとフーガニ短調を 先生の家で鑑賞し、レコードを聴いたのがきっかけ。

中学2年生の小フーガト短調で感化し、ピアノで何とか弾いてみようとした。
以来、教会のオルガンに惹かれている。

つい先日、パイプオルガンの講習を受講した。ペダルなどは ほとんど練習できなかったが
オルガンというものの響きについて認識を深めた。

ストップという音色を変えるスイッチがあり これにより音楽が劇的に変わる。
パイプオルガンは 鍵盤楽器でもあるが ストップの発想からすれば管楽器である。
しかし、リード楽器ではないので音は断定的に出る。その表現は、演奏している場所からは想像できなく客観的に聴けるのがよい。

これは、「ホールM」。立派なパイプオルガン。何年か後には、きっと ペダルの曲を演奏しているのかもしれない。




バッハ(ペツォルト)/メヌエット ト長調 ト短調 ストップの移り変わりに醍醐味を感じる。


「マタイ受難曲」BWV244「われらは涙してひざまずき」


「マタイ受難曲」BWV244  最終曲 第68曲「われらは涙してひざまずき」

新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした受難曲。新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に基づくイエス・キリストの受難を描いた。受難曲はキリスト教の聖週間における典礼と密接に結びつき、中世以来の長い伝統があり、17世紀~18世紀には、ルター派圏内で合唱や管弦楽を伴うオラトリオ受難曲が作曲された。

ミサ曲などは、宗教の儀式で奏される 典礼文などに則り厳正な音楽としては限定的であり 音楽の普及のためには 門戸をひらき プロテスタントに道が開かれた。典礼文の一部を採用したり、ドイツ語や英語などの宗教曲もでてきて、あるいは聖書からのテクストも さまざまな場面を採用していった。

ルターの宗教改革がおこなわれたのは、今から400年前。それまでは、カトリックが厳正で 守れないものは刑を免れなかった。たとえば、コペルニクスの地動説については、ルターは厳しく非難した。コペルニクスは正式に70歳の晩年に主張し、その後没した。後にガリレオが 発明された「望遠鏡」で惑星を観測し発見する。地動説を主張したが、宗教裁判にかけられ 終身刑となった。カトリックにおける破門が宣告、すべての役職を剥奪され、『天文対話』の禁書目録入りとなり、地動説放棄を命じられる。1633年、有罪とされ、フィレンツェ郊外に幽閉された。それでも ガリレオは、研究をやめず 望遠鏡をみつづけた。1638年に『新科学対話』を、プロテスタント国オランダのライデンで発刊する。1642年、ガリレイは幽閉先で78年で亡くなった。身分回復は得られず、家族の墓地に葬られず、墓碑もない状態が続く。ローマ教皇ヨハネス=パウルス2世(位1920-2005)は 裁判の誤りを認め(1983)ガリレイの有罪判決を撤回した。2回目の裁判から359年ぶりの1992年に、ガリレイは破門を解かれたのである。

聖書という絶対的なテクストを守り伝える。この曲は「人生のテーマ」それ以上の価値を持つ。
現代版「十字架へのわが愛」はこの曲、X JAPAN の「CRUCIFY MY LOVE」を思い出す。人間という悪魔が引き裂く現実。人間は 嫉妬深い存在で 他人を欺き 地獄に突き落とす 愚かな存在。
その罪を清浄することが 生きていくための最低条件。人は十字架を背負って生きている・・・



大バッハ(1685~1750)はルターの宗教改革と密接に関連していた。ドイツ語のカンタータ300曲に及ぶ。また、カンタータなど管弦楽の曲をオルガン用に転用し、「オルガン小曲集」など親しみやすいものにしている。頂点にたつ作品が 受難曲 バッハは 4つの受難曲を作曲している。マタイ ヨハネ ルカ マルコである。バッハの死後、長く忘れられていたが、1829年3月21日、フェリックス・メンデルスゾーンによって歴史的な復活上演がなされ、バッハの再評価につながった。

第1曲から 第68曲まで 第Ⅰ部(第1~35曲)と第Ⅱ部(第36~78曲)約3時間を要する 壮大なパッション。抜粋ではあるが 私が思うところを書いてみたい。


Thomas Quasthoff トーマス・クヴァストホフ 障害を乗り越えてキャリアを積み重ね 歌手として活躍をする。また、指揮でも高い評価を得ている。HP

第1曲 「来たれ娘たちよ、ともに嘆け。」 Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen
壮大な ホ短調のバスから開始される。管弦楽の響き 合唱の叫びにもとれる声、
ただごとならぬ 予感で 終わりをも期待させる。

Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen, 来たれ娘たちよ、ともに嘆け。
sehet-Wen?-den Bräutigam, 見よ-誰を?-花婿を、
seht ihn-Wie?-als wie ein Lamm! 彼を見よ-どのような?-子羊のような!
Sehet,-Was?-seht die Geduld, 見よ-何を?-彼の忍耐を、
seht-Wohin?-auf unsre Schuld; 見よ-どこを?-私たちの罪を
sehet ihn aus Lieb und Huld 愛と慈しみゆえにみずから
Holz zum Kreuze selber tragen! 木の十字架を背負われるあのお姿を見よ!

Choral ‐ Soprano in ripieno コラール
O Lamm Gottes, uaschuldig おお、罪なき神の子羊よ
am Stamm des Kreuzes geschlachtet, 犠牲として、十字架に架けられた御方よ、
allzeit erfunden geduldig, たとえ侮辱されようとも、
wiewohl du warest verachtet. いつでも耐え忍ばれた。
All Sünd hast du getragen, すぺての罪をあなたはお負いになった。
sonst müßten wir verzagen. さもなければ私たちの望みは絶えていただろう。
Erbarm dich unser, o Jesu! 私たちを憐れんでください、おおイエスよ!


第21曲 受難のコラール 「私を知って下さい、私の守り手よ」 Erkenne mich, mein Huter,
合唱隊は、この曲が何度となく出てくるが その場面毎に 忠実に再現することだ。

Erkenne mich, mein Hüter, 私を認めてください、私の守り手よ。
mein Hirte,nimm mich an! 私の羊飼いよ、私を受け入れてください!
Von dir,Quell aller Güter, すべての宝の泉であるあなたから
ist mir viel Guts getan. 私のために多くのよいことが行われました。
Dein Mund hat mich gelabet あなたの口はミルクと甘い食べ物で
mit Milch und süßer Kost, 私を元気づけてくださいました。
dein Geist hat mich begabet あなたの聖霊は多くの天国の喜びを
mit mancher Himmelslust. もたらしてくださいました。


第47曲 アリア 「憐れみたまえ,わが神よ」Erbarme dich, mein Gott,
深い悲しみが表現されている。美しいソロ・ヴァイオリンと哀しみのアルトの歌声。

キリストが逮捕された後、ペテロは大祭司の家の庭に連れてこられた。人々は彼を見て「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペテロは打ち消して「違う」と言う。大祭司の僕の一人で、ペテロに耳を切り落とされた人マルコの身内の者(下女)が言う。「園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか。」ペテロは再び否定する。三度打ち消すとすぐ鶏が鳴く。ペテロはキリストの予言を思い出し、それを自分が強く否定した事も思い出し、後悔して泣き崩れた。

Erbarme dich, mein Gott, 憐れんでください、私の神よ!
un meiner Zähren willen ! 私の涙ゆえに、
Schaue hier. 私をご覧ください。
Herz und Auge weint vor dir bitterlich. 心も目もあなたの御前に激しく泣いています。


第58曲 アリア「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」Aus Liebe will mein Heiland sterben

キリストが捕らえられ、広場に引き出されたとき、ローマ帝国の属州総督ピラトが、「このものは、どんな罪を犯したのというのか?」との問いかけに、一女性が「どんな罪もなく、ただ、私たちのために死ぬのです」と気高く答えるアリア。

Aus Liebe will mein Heiland sterben. 愛ゆえに私の救い主は死のうとしておられます。
von einer Sünde weiß er nichts. 罪ひとつ知らない御方なのに。
daß das ewige Verderben 永遠の破滅と
und die Strafe des Gerichts 裁きの刑罰が
nicht auf meiner Seele bliebe. 私の魂に覆いかぶさらないように、と。


第68曲 終曲 合唱 「われら涙流してひざまずき」

Wir setzen uns mit Tränen nieder われらは涙してひざまつき
und rufen dir im Grabe zu, そして、墓の中のあなたに呼びかけます。
Ruhe sanfte, sanfte ruh! 安らかにお休みください、やすらかに。
Ruht, ihr ausgesognen Glieder! お休みください、疲れ果てた御体よ!
Ruhe sanfte, ruhet wohl! 安らかにお休みください、やすらかに。
Euer Grab und Leichenstein あなたの墓と墓石は、
soll dem ängstlichen Gewissen 悩める良心にとっては
ein bequemes Ruhekissen ここちよい憩いの枕、
und der Seelen Ruhstatt sein. 魂の憩いの場となるべきもの。
Höchst vergnügt schlimmern da die Augen ein. こよなく満ち足りて、その眼は眠りにつくでしょう。


私は、クリスチャンではないが、この曲を聴いた後は、拍手は一切しない。なぜなら、キリストが十字架に磔にされ 受難したことを重く受け止めるべきであるから。

感謝すること・・・

キリスト教的には、私たちは、罪深き存在で 完璧ではない。良心を裏切り 嫉妬し 嘘をつき 他人を地獄につきおとす。欲望を捨てきれない限り、人間は神に仕える事のみ生きるずべである。
神様には その罪を打ち明け懺悔し 清浄につとめなければならない。そして 聖書をテクストとし これを実践することが 生活である。

仏教的には、人間には煩悩がある。自らが 悟りをひらき 自分の生き方について 慈悲をもち、人には 仏の心で接すること。また、己を律することが求められ そのためには真言をとなえ行を実践する。仏の道を達観するには 経典を勉めるために 出家し僧侶となり実践する生活を送る。
「帰依仏 帰依法 帰依僧」





箱根山 天下の嶮


「箱根の山は、天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず」

箱根八里とは 小田原から箱根までの四里 箱根から大井川の四里をさし
難所とされた。

箱根は、東京から100km 90分ほどで着く 風光明媚な土地。また、歴史的にみても
要衝の地

箱根神社は 芦ノ湖のほとりにある。

人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となる。天平宝字元年(757)万巻上人は、箱根大神様の御神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、仏教とりわけ修験道と習合しました。関東総鎮守. 「箱根を背にするものは天下を制す」

平将門が乱をおこしたとき 箱根はひとつの砦となった。将門の敵は 京都の官僚。「中央集権」でなく「地方分権」を打ち出した。箱根に兵を派遣してこれを封鎖し 防衛をかためた。 







また、大湧谷は 箱根山の火山活動の噴気地帯

大涌谷 2015年5月4日 水蒸気噴火などによる 火山性地震の増加 で危険が想定されるために
規制がしかれた。2016年7月 状況が落ち着きをみせたので 規制が緩和され ロープウェイ ショップなども再開したが 遊歩道は まだ 一部規制のところがある。火山ガスの影響を受けやすい、ぜん息、気管支疾患、呼吸器疾患、心臓疾患、心臓ペースメーカーを装着している方は、大涌谷園地へ立ち入りを制限している。

https://www.town.hakone.kanagawa.jp/index.cfm/10,1203,46,166,html



 


伊豆七不思議「大瀬埼」


大瀬埼 駿河湾富嶽三十六景のひとつ 静岡県沼津市大瀬にある。沼津市から「あわしまマリンパーク」を経由し海岸線をすすむ事、約1時間、伊豆半島西北の端に位置し、「伊豆七不思議」のひとつ「神池」がある。





白鳳時代(684年)大地震がこの地を襲った。その際隆起し、突如あらわれた「琵琶島」。東側は砂浜 西側は大きな石がごろごろとしている。伊豆半島は、元はひとつの火山島。爆発し隆起、断崖絶壁の地形をつくりだし、フィリピンプレートに沿って日本列島に接近してきた。最接近するにつれ 海底が隆起 海がなくなり陸つづきになった。さらに押し縮められ 丹那山地となった。箱根に「大湧谷」があるが、その周辺は地殻エネルギーのたまりやすい場所。現在も、1年に数センチ、北西に移動している事で ひずみが生じ内陸地震がおきているのである。

大瀬神社(おせじんじゃ)という。引手力命神社(海の守護神)を祀る。突端には灯台があり、ダイビングスポットとして夏場など人気のスポット。海に従事するものは ここに祈願に来る。

さて、大瀬岬のような形は 砂嘴(さし)とよばれる。ここが特別なのは 淡水の池「神池」が存在すること。海から50mと離れていない。池の南側端と海の距離はで20mほどしかない。池に海水がかかってもおかしくないのだが、淡水の池をまもっている。しかし池の色は 若干緑色をしていて 独特の風合いがある。この日は、猛烈なシケで 海側では潮がどっぷりと飛沫をあげているのに この神池は何と穏やかなことか。

神池であるがゆえに 科学的な調査はあえて行っていない。この地を永久に保存するために。草木や魚をとったりすると 祟りを引き起こすとされている。崇りについては、事故や原因不明の病気で亡くなっている。自然は豊かだ。鯉が3万匹いるようだ。近づくと、口をパクパクと餌をねだっている姿に驚く。隣に、餌を販売していて人慣れしている。

この海岸は、ビャクシンの木々が生い茂る。「ビャクシン」は、130本以上の樹があるのだが。現在の御神木は 推定1500年以上。甚く感動したのは、これらの巨樹に 大きな石ころが樹の中に入り込んでいるというか、めり込んでいる。とってあげたい気持ちがあるのだが。御神木は 基本 触れられるのは特別であって。強風に耐えている その姿には驚嘆しかない。




















天竜峡 ライン下り


天竜峡 (標高382m)ライン下り。天竜川は、長野県諏訪湖を源流に太平洋へ流れ注ぐ一級河川。全長213kmあまり。伊那・飯田・愛知県の一部・浜松市・磐田へ。天竜川というと、新幹線の車窓からみえる天竜橋と富士山が印象的。

天竜峡は 川幅が狭く入りくんでいるために 奇岩など景勝に富むところ。日本は四季折々の景色が万とある。夏は 冷涼な気候で避暑ができ 秋は紅葉が楽しめる。

姑射橋(こやきょう)から 散策コースが整備されている。龍角峯(りゅうかくほう)をのぞむ





 



つつじ橋 全長80m 防護ネットは2011年ごろに設置された。吊橋 弾力に富む。雨の後は 滑るので気をつけて。





姑射橋(こやきょう)から



エメラルドグリーンの色 ライン下り 3社が運営している。2011年に転覆事故が起き、以来 救命胴衣を着けるようになった。もちろん 安全管理には気をつけている。



下りは船着き場へ。そして 電車またはバスで上ってくる。電車は 3駅分。天竜駅へ戻った。

天竜峡公園には 地元 代田銀太郎が作詞した「モンテンルパの夜は更けて」の歌碑がある。
日本とフィリピンとの友好の徴である。


乗鞍岳 初雪


乗鞍岳 初雪

ご来光が多く 夏の時期に登っていたが 10月に入ってからは初めて。平地との気温差は16℃である。標高 2500m以上のところなら 雪が観測されていてもおかしくない。 この日の 朴の木平 専用バス乗り場 標高1200m は気温7度 風はおだやかだが 空気が冷たい。だいたい この周辺は 紅葉が一番よくすすむところだ。登山口 畳平は標高2700mで 気温は0度近くだったと思う。

バスの案内でもあったが 戦中 軍用道路として建設された。戦後 濃尾バスに払い下げられ 観光用道路として整備された。平成15年からは マイカー規制により 許可された車両が往来できる道路になり、専用バスなどが運行している。名物 ご来光バスは人気だ。日の出前に畳平(一つ手前の富臨時停留所)に着き ご来光を拝める。

さて、この日の天気予報を詳しくみると 12時ごろから雨が降るとなっている。山の天気が変わりやすいから「三回に一回の割合で きれいに見えればいいのよ。」と教えてもらった事がある。雪が降って吹雪く事も考えられる。地面を見ると、霜がおりて凍っているところがあるのだ。







さて、ほおのき平 6時55分発 畳平 7時40分 着。トイレをすませ 準備体操をする。
いきなり 標高2700mだから 酸素も3分の2しかないので 呼吸を整えて。
スタート 鶴ヶ池経由で おおまわりするコースと お花畑を通り抜け不消ヶ池を右手にみて 坂を登り合流する道とある。往きは お花畑コースで。帰りは 鶴ヶ池コースで。風が 少し強めに吹いている。コロナ観測所への分岐までの坂道が楽ではない。分岐を左手に入り しばらくすると 右手に 山々が。そして 肩の小屋がみえてきた。ほっとする。そこからは 少し下り坂 きつくない。しばらく歩くと肩の小屋に着いた。が 営業は終了していた。





ライチョウの表記。北アルプスを中心に 乗鞍で 御嶽で 甲斐駒ヶ岳などで 確認されているが
数が少ない。ハイマツなどの芽を餌に隠れ 棲んでいるようだ。乗鞍でも 御嶽でも ライチョウをみたが それらは ハイマツの周辺を飛来していた。また、三の池周辺でも 池は植物がほとんどないので樹林帯を行き来していた。



不消ヶ池(きえずがいけ)とても魅力的な池で 色が虹の如く変化する。右上は、コロナ観測所(立ち入り禁止)



この分岐までが ゆるやかな登り坂となっているが 楽ではなかった。





さて、肩の小屋から 乗鞍岳を拝む。頂上は左手奥の剣ヶ峰。その前に 右手のピーク 朝日岳に到達しなければ。「頂上まで50分」だなんて。ゆっくり登ればいいのだ。ただ あまり時間を多くしたからといって 危険度は変わらない。森林限界なので 天井を遮るものはない。が 地点のピークがみえない状態が一番きつい。石のザレ場は歩きにくい。

稜線上に出た時は 力が抜けた感じ。もうひとつのピーク 頂上小屋を左手にみて 頂上がかすかにみえている。ここからは 15分くらいかな。

一番きついところを登って頂上にたどり着く。風が強い。そして、雪が降ってきた。
乗鞍本宮とあり 鳥居がある。乗鞍岳 剣ヶ峰 標高3026m もちろん視界は360度。御嶽山方面もしっかりみえる。国内第2位の高地にある権現池がみえた。

吹雪いてきた。我慢して頂上にいる必要はない。10分くらいしたら 降りよう。すぐ下の頂上小屋に入り寒さをしのいだ。頂上小屋が臨時的に営業していた。ホットココア(マシュマロ入り)をいただき 英気を取り戻した。たすかりました。

その後 下山をはじめる。11時30分前には畳平に無事戻ってきた。11時55分のバスで降りた。正解だったかもしれない。午後から「降雪のため」畳平に登るバスは 運行を取りやめた。
案の定 吹雪になった。

























 


落葉松 鏡池 白駒池 


落葉松 からまつ 鏡池 秋が深まりました。

カラマツ 針葉樹で 紅葉の時期は黄色に色づく。モミジ・カエデは赤く色づく。
が この周辺では、モミジ・カエデはあまりみあたらない。そう、あの白駒池でも真っ赤に染まる事はない。が、もちろん綺麗。

この池は偶然見つけた。最初から、ここを知っていたわけではなかった。ある時に、ふっと浮かんだ。そういえば 裏立科はどうだったかな。大門稲荷に御参りして そのとき考えた・・・

蓼科山は 富士山のように裾野が広く 存在感のある山で「女神」がいるとされた。ヴィーナス街道所以である。表からみる蓼科山は、頂上手前まで緑が多く、頂上は岩がごろごろしていて殺風景である。溶岩の粘度が高く、頂上付近にしみだしたので 天狗の岩のような山頂になったのかな。よって樹林は育たない。一方、裾野は広大な森林帯となっている。

カラマツは東日本を中心に植林されたもので林立している。西日本は、杉がほとんどで 落葉松の林は印象が違う。実は、落葉松の原生林も少なからず存在する。

百メートルほど離れたところに「自然林のカラマツ」があった・・・標高2000m 池をみつけた。ある角度からみると 鏡池のように 逆さに映る。

カラマツ という響き 野上彰 作詞 小林秀雄 作曲 混声合唱組曲「落葉松」口ずさむ。「落葉松の 秋の雨に わたしの 手が濡れる  落葉松の 夜の雨に わたしの 心が濡れる・・・」



こちらは「白駒池」紅葉はじめは早かったが 気温が低くならないので 本格的にはまだ。これから見ごろを迎える。この日は、朝から日差しが強い。標高2000mなので 紫外線もきつい。



水に映える 波紋や 光の反射は 貴重な瞬間



苔が育っている。





これは「ミシャカイケ 御射鹿池」(ため池)日の出の時間に行ったが写真をおさめようと多くの方が訪れていた。東山魁夷の作品「緑響く」に表出。
神に捧げるための鹿を射るという神事、御射山御狩神事ゆかり。1933年に完成。酸性池。




ある「ため池」透明度が高く エメラルドグリーンの色。微生物が関係していると思われる。